『これは虹ヶ咲というシリーズの“お祭り”だ』虹ヶ咲アニメ感想・総括
2020年10月から12月にかけて、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のアニメ版、通称“アニガサキ”が全13話放送されました。
虹ヶ咲はソロの集まりということもあり、今まではグループ単位の話でやってきた「ラブライブ!」シリーズとしては異色の作品だったのではないかと思います。今回は、虹ヶ咲のアニメが最終回を迎えたということで、アニメ全体を総括する記事を書きました。長くなると思いますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
目次
1.ストーリー全般の感想
①キャラ描写全般について
a.ソロの集まりのスクールアイドル
冒頭でも触れた通り、虹ヶ咲はソロの集まりという体制をとっています。アニメ化する前からも、ユニット曲以外はアルバム単位で各メンバーのソロ曲が全員曲と合わせて一曲ずつ収録されていたり、公式の4コマ漫画や虹ヶ咲の母体であるスクスタでも度々ソロアイドルであることが強調されたりしてきました。そのために、アニメではどのようにして各メンバーを見せていくのかが気になりました。
実際に蓋を開けて見ると、1クールで各メンバーの個人回を全員分がっつり行うというものでした。さらに、第3話でラブライブ!大会の存在についても触れられたものの、そのラブライブ!大会には出ないという方針にもなりました。「ガンダム」シリーズに例えると、無印と「サンシャイン!!」が宇宙世紀シリーズで虹ヶ咲が「Gガンダム」以降のアナザーガンダムのポジションに当たるともいえます。グループ単位で活動していた今までの作品と比べると、終盤の11〜13話以外は各話1話完結のオムニバス形式で話が進んでいるという印象が強かったです。そのために、ライブシーンと合わせて『とにかく同好会のアイドルを見てくれ』という製作陣の作品愛を感じました。アニメの時空で虹ヶ咲のみんながソロ路線をとると決めたのは宮下愛加入回の第4話『未知なるミチ』からになりますが、それまでの経緯として、もともと優木せつ菜、中須かすみ、桜坂しずく、近江彼方、エマ・ヴェルデの5人からなる旧同好会時代にメンバー同士の価値観の合わなさから部が内部崩壊してしまったために、新生同好会では各メンバーがそれぞれの価値観に合ったスクールアイドル活動をできるようにソロという形をとったということがあります。虹ヶ咲の原作に当たるスクスタでは、昨今のソシャゲよろしくキャラを多数増やす商売を行いやすくするためにソロ路線をとっていたという印象が強かったですが、アニメではそういった虹ヶ咲のコンセプトを『同じ場所で違う価値観が共存する』、『自分たちの好きなことを追求するが他者とのつながりも重んじる』という現代的なテーマに昇華したことは見事だと思います。しかし、ソロでやるというはステージに立つのは1人ということなので、それに伴う不安もみんなにはありました。そういうソロ故の不安を第4話、そして第9話で描写していたところもポイントです。
また、オムニバス形式であるがために、各メンバーの話ごとに別々のメッセージが込められているように思いました。個人的に『この個人回にはこういうメッセージがこめられていそうだ』というのをここにリストアップしていきます。ここに記すのはあくまで個人的な見方です。
- 第1話の歩夢&侑回→『これだ!というものを見つけたら躊躇わずにやってみよう』
- 第2話のかすみ回→『可愛いも格好いいも、様々な価値観が共存する場所こそが理想』
- 第3話のせつ菜回→『他人の大好きを尊重することは自分の大好きを否定することではない』
- 第4話の愛回→『楽しいことに正解はない』
- 第5話のエマ回→『やりたいと思ったそのときから事は既に始まっている(エマの台詞そのまま)』
- 第6話の璃奈回→『苦手なところは無理に克服しなくても得意なところでカバーすれば良い』
- 第7話の彼方回→『生活を守るのも好きなことを続けるのも両方大切なことだからお互いの助け合いが必要』
- 第8話のしずく回→『何かを演じているときの自分も紛れもない自分自身』
- 第9話の果林回→『1人で何かをしていても支えてくれる人がいる』
- 第11,12話の歩夢回→『前に進む度に大切なものが増えていく、その一方で今まであったそれらが消えてなくなるわけではない』
特に第9話の果林回『仲間でライバル』は、個人回シリーズのトリであったためか、今までの各メンバーの個人回を決算するかのような内容であったと思います。『仲間でライバル』という理念は第7話『ハルカカナタ』で彼方と妹の遥が果林よりも先に体現してみせたという印象もありますが、果林回がなければその方向性も強固なものにはならなかったでしょう。
続いて、「ラブライブ!」といえばやはり楽曲。そういうわけで、楽曲の話に移ります。
楽曲はどれも素晴らしく、アニメ化前の各メンバーの持ち歌のテイストを良い感じに引き継いだものも有れば、エマの『La Bella Patria』や彼方の『Butterfly』のような今までの曲の作風からは想像もつかなかったようなテイストの曲まで様々でした。また、各メンバーごとにソロのMVがもらえたことは非常に贅沢に思います。第1〜5話では心象風景を使った演出が多く見られましたが、第6話からは実際のステージを使ったライブが増えたために徐々に地に足ついていったという風にも感じられました。
(皆さんのお気に入りの曲はどれですか?)
また、既存曲では優木せつ菜の『CHASE!』がアニメで登場し、侑と歩夢の夢の始まりになったというところも、せつ菜推しとしては大変嬉しいポイントでした。
最終回に歌った全員曲の『夢がここから始まるよ』も、アニメ化前の全員曲である『Love U my friends』にも似た爽やかさと達成感のある一曲で、それぞれの好きなことを追求することと、メンバーを含む他の人と楽しいことを共有することを諦めずにいた同好会のみんなだからこそ歌えたアニガサキのラストを飾るのにふさわしい曲でした。
b.とにかくキャラに好印象を持たせ続ける工夫
アニガサキを見ていて思ったことは、各キャラのヘイト管理やキャラの株を上げる描写が上手いというところもありました。例えば、旧同好会の廃部騒動のときにせつ菜が暴走して同好会の雰囲気がギスギスしていたところでかすみが真っ先に反抗したことで、片方にヘイトが溜まるのを防ぎ、さらに両者とも悪気はなかったことをきちんと描写してから気持ちよく解決できる文脈に持っていくことでヘイト分散ができていたと思います。序盤の果林とエマについても、エマが果林に廃部のことを相談し、果林がエマの助けに回ることで2人の株上げができていたと思います。
第3話のせつ菜回については、『流石に廃部にまでする必要は果たしてあったのか』という疑問も残りましたが、主要メンバーの中では一際ヘイトを溜めやすそうなせつ菜の正体バレ(せつ菜は偽名を使ってアイドルをやっており、その正体は生徒会長)と加入を早い段階で済ませるというのは良き采配であったと思います。このときせつ菜の正体を見破ったのは果林であり、序盤はとにかく果林の株が上がり続けました。
果林『“優木せつ菜”の名簿はどこにいったのかしら』
せつ菜『勘のいい上級生は嫌いですよ』
果林自身の方も、第6話で璃奈が練習に来なかったときに練習を終わりにしないかと言ったり、第9話の個人回ではDiver FESに相応しいメンバーを選ぶべきなどのシビアな発言が目立ちますが、その一方で璃奈のライブのためにモデルの仕事に休みを入れていたり、Diver FES本番で自信をなくしかけたりするなどの柔らかい一面もすぐに描写されていたため、性格がきついわけではないという印象を持てました。
ここまでのヘイト管理については、『メンバーを良く見せよう』というよりも『悪く見えないようにしよう』という方向性の気遣いを感じます。
ヘイト管理は主要メンバー以外の脇役にも行き届いており、その脇役一人一人にも好感を持てました。
第6話で登場した璃奈のクラスメイトは、璃奈が表情を上手く出せないことをからかったり気味悪がったりせずに、そこまで親しくなかったときも明るい態度で接してくれていてよかったと思います。
第7話の彼方回では、彼方が家事や遥の世話をやっている中で娘2人に母が大変な思いをさせているのではないかと思った視聴者もいたと思いますが、7話終盤の母の置き手紙から、親子の絆は崩れていないことがわかったのも良かったです。
演劇部の部長も、第8話でしずくを舞台の主役から下ろしてしまうといったことをしていましたが、最後は主役のしずくの助演として彼女を助け、ひいてはスクールアイドルフェスティバル(以下スクフェス)で同好会を応援していたところが好印象でした。
スクフェス承認の話で登場した副会長も、侑からスクフェスの話を聞いてスクールアイドルのことを知ろうとしてくれていた姿勢には好感が持てました。また、そこでちゃっかりせつ菜推しになっているところも可愛かったです。
余談になりますが、このようにして一般人のスクールアイドルに対する反応を細かく描いていたところも、アニガサキの面白い部分だと思いました。そのために、モブキャラ一人一人も生き生きとして映っていたように思います。
②ファンとアイドルを繋ぐ、高咲侑の物語
アニガサキには、高咲侑の物語という一面もあります。
高咲侑は、原作スクスタのプレーヤーキャラ(通称:あなたちゃん)に当たる人物であり、「ラブライブ!」アニメシリーズでは初のスクールアイドルではない主人公です。侑は第1話でせつ菜のライブに感銘を受け、幼馴染でもう1人の主人公である上原歩夢と共にスクールアイドルの世界に入っていきます。その後、各話で同好会メンバーとの交流を深め、彼女達のパフォーマンスを見ていく中で自分も本気で何かがしたいと思うようになり、やがてスクフェスを発案・開催するまでに至ります。さらに、物語終盤では音楽科に転科することを決めており、その“好き”の気持ちは際限なく広がっていきました。アニガサキの物語は、ソロのスクールアイドルの話だけでなく、侑がスクールアイドルを通して自分が本気でやりたいことを見つけるまでの話でもありました。思えばこれは本当に小さな一歩に過ぎないと感じます。しかし、最終回の感想記事でも書きましたが、その小さな一歩を踏み出すことにも意外と勇気と時間が要るのかもしれないし、その小さな一歩が自分自身に大きな変化をもたらすのかもしれないと思いました。
また、侑は10話でスクフェスを発案したときに『ファンとスクールアイドルが垣根を越える、スクールアイドルもファンのみんなもそれぞれの場所で自分の好きを表現する』ことも理念の一つとして上げていました。その他にも、最終回における『私にあなたがいてくれたように、あなたには私がいる』という歩夢の台詞は、ファンに“大好き”を発信するアイドルとそれを受け止め支えるファンの関係性を簡潔に表しています。これらを通してアニガサキは『ファンとアイドルの物語』という一面もあると感じました。ある意味、虹ヶ咲の初期からのコンセプトである『あなたと叶える物語』をアニメの文法で体現していると思います。
スクールアイドルフェスティバルでファンも出し物を行うくだりはよくある学校の文化祭を彷彿とさせましたが、学園内で活動する“スクールアイドル”を題材にした作品だから出来たことであると思います。スクールアイドルは「ラブライブ!」シリーズの花形ですが、ファンの方でも何かができるはずだと思わせてくれる作品であり、逆にスクールアイドルからファンへお返しをする作品であると思いました。
侑にはファンの代表的な立場の主人公だからこそ持てる役割がもう一つあります。第10話における音楽室でのせつ菜との会話にて、『ステージの上ではみんな輝いて見える』とせつ菜に言ったところ、せつ菜から『侑さんからはそんな風に見えているんですね』と言われました。スクールアイドルではない者の視点から物事を見ているからこそ、スクールアイドル自身が持つ魅力を気づかせてくれるというところも、侑の重要なポジションであると思います。
準主人公・せつ菜の視点で見てみると、自分自身は幕引きのつもりで行っていたライブが侑と歩夢の心を動かし、やがてスクフェスという大舞台に繋がっていったという見方もできます。もちろん、侑の心を動かしていたのはせつ菜以外の同好会メンバーもそうであり、やはり決定打になったのは第9話の果林のDiver FESのステージであったと思います。ある意味、果林が第6話で同好会に入るのを遠慮したままではスクフェス開催はなし得なかったのなもしれません。果林を同好会に招き入れたエマも大役でした。そういう意味では、『誰かが発信する大好きが誰かの心を動かし、新しい夢が生まれる』、『我慢せずに自分の大好きを発信していれば、それが他人の行動を変えることもあるかもしれない』というエンタメそのものに対する賛歌のような文脈も感じ取れました。
またせつ菜推しとしての話になってしまいますが、お付き合いください。せつ菜はアニメ化前から『大好きがいっぱいの世界』を作りたいと言っていました。アニメでは自分のパフォーマンスか侑の心を動かし、やがてスクフェスという大好きがいっぱいの世界に繋がっていったと思えば、せつ菜の頑張りも報われた気がします。
かつてせつ菜と衝突してしまったかすみの『かわいいもカッコいいも共存できるワンダーランド』という夢も、スクフェスで叶えられたのだと思いました。
2.あらゆる虹ヶ咲媒体の総決算
アニガサキは、スクスタを含む今までの虹ヶ咲媒体のネタを各話に散りばめており、虹ヶ咲媒体の総決算とも言える作りになっています。そういう意味では、この記事のタイトルの通り『虹ヶ咲というシリーズのお祭り』と言えるのかもしれません。だからといって虹ヶ咲初見の人やスクスタ未プレイの人が楽しめないわけではなく、今までの媒体の要素を集めつつもオリジナルストーリーに再構築しているため、新規の人も楽しめる内容になっていると思います。第3話まではスクスタ序盤でもあった同好会廃部騒動をややなぞる感じでしたが、それより後は完全オリジナルストーリーです。
スクスタ以外にも、過去の虹ヶ咲の媒体のネタも拾っています。アニガサキで拾われた過去媒体の要素といえば、例えば、ライブシーンで度々映る手描きのカットではスクスタでも登場した衣装を着ているメンバーの姿が見られます。
せつ菜のMVだけは、スクスタの衣装を用いたカットが見られませんでしたが、『CHASE!』のライブシーンではアニメ化前からあった衣装を着ていました。
スクスタのネタ以外にも、ファンの間では一時期物議を醸していたファミ通app時代のちょぼらうにょぽみ氏の4コマ漫画のネタまで拾っていました。
ミヤコヒト氏による看板4コマ「にじよん」からも引っ張ってきたネタがありました。
アニガサキはこういった小ネタの使い方も上手いと思います。
スクスタをなぞるのではなく、スクスタを含めた今までの虹ヶ咲の要素を全て分解し、再解釈、再構築を行なっているという見方が妥当かと思います。
スクスタや虹ヶ咲の4コマだけでなく、スクフェスへのリスペクトもありました。これについては、虹ヶ咲のメンバーであるエマ、彼方、しずくがスクフェスのモブ出身のキャラだからこそスムーズに使えたという気がします。
その一例として、彼方の妹・近江遥に代表される東雲学院のメンバー、綾小路姫乃に代表される藤黄学園のメンバーがアニガサキでは声付きで登場しました。
これは単なるファンサービスではなく、第10話で侑がスクフェスを発案するに向けて他校との繋がりを得ていく布石としての機能を果たしていました。同好会再結成からスクフェス開催に向けて、こうして他媒体の要素を交えつつスケールを広げていく構成は面白かったです。スクスタ関連だけかと思いきや、スクフェスのネタも拾ってきたという点については脱帽しました。スタッフの「ラブライブ!」愛を強く感じる世界観構成であったと思います。
3.「ラブライブ!」らしくない?いや、そんなことはない
虹ヶ咲は冒頭と1.で書いたようにソロが主体なことやラブライブ!大会を目指さないストーリー展開もあって、『ラブライブ!らしくない』と感じた人も多いと思います。確かに、そういう点に関しては虹ヶ咲の「ラブライブ!」らしからぬ点であると思いますし、作風も今までのシリーズと比べればどちらかといえば「けいおん!」や、シリーズ構成が一緒の「ゆるキャン△」などの日常系アニメ寄りのものであったとは感じます。しかし自分は、虹ヶ咲も立派な「ラブライブ!」シリーズのアニメであると胸を張って言える気がします。なぜそう思うのかをこの段落で触れたいと思います。
①虹ヶ咲にも共通するラブライブ!らしさ
まずは序盤の話から。無印なら穂乃果がA-RISEの映像を、「サンシャイン!!」なら千歌がμ'sの映像を見てスクールアイドルの世界に入り込んだように、アニガサキでは侑と歩夢がせつ菜のライブを見てスクールアイドルの世界へと入り込んでいきます。穂乃果も千歌も、侑と歩夢も、物語開始前は特に夢を持たずに過ごしていたところをスクールアイドルに出会い、自分の夢を持つようになっていく部分が共通しています。夢を持たない女の子がスクールアイドルみ魅せられて自らの生き方を形作っていくというのは「ラブライブ!」シリーズ共通のテーマです。
次に、無印「ラブライブ!」では南ことりが『普通のアイドルなら私たちは失格』と言っており、その後に『スクールアイドルなら輝ける』という旨の発言をしていました。「サンシャイン!!」の千歌も、自らのことを普通怪獣と言いながらもやがては仲間と共にラブライブ!大会優勝までたどり着きました。ことりと千歌の発言はある意味、『持たざる者もアイドルとして輝ける』という部分もスクールアイドルの素晴らしさであるとも言っているように思います。虹ヶ咲では、第6話の璃奈がまさにそれを体現していたと思います。璃奈は表情を作るのが苦手で、ボードを使って歌うことを選びました。それはおそらく、普通のアイドルなら受け入れられづらい要素だと思いますが、スクールアイドルという分野だからこそ成せた表現手段といえます。
また、過去作で例えるなら、璃奈はμ'sの小泉花陽や星空凛、Aqoursの黒澤ルビィに近しいものを感じます。
さらに虹ヶ咲では、過去の2作と同じくスクールアイドルのことを高校生である『今しかできないこと』と第5話で表現していました。これはもし続編が有れば卒業シーズンの話で触れられるようなことだと思いますが、高校生活の限られた時間の中で輝けるからこそのスクールアイドル、アイドルものだけど青春モノという根幹を成すテーマはやはり過去作と共通している部分であると思います。
「ラブライブ!」シリーズにおける共通のテーマである『みんなで叶える物語』という部分について。虹ヶ咲ではそれがスクールアイドルフェスティバルという形で実現されました。
第10話の感想記事でも書きましたが、スクフェスという一つの『みんなで叶える物語』の発案者で中心人物である侑は、スクールアイドルではないものの、紛れもない「ラブライブ!」主人公です。
②スポ根ではない、文化系のラブライブ!
一方で、過去作と虹ヶ咲はやはり決定的な違いもあります。
まず虹ヶ咲は、スクールアイドルをよりエンタメとして扱っていたという印象を受けます。過去の作品ではスクールアイドルをやる上で廃校問題も絡んでいたのに対し、そのような話とは無縁な虹ヶ咲は『とにかく楽しいことをやろう、それをファンのみんなとも共有しよう』というノリの作品でした。
それから、無印と「サンシャイン!!」がスポ根モノなら、虹ヶ咲は文化系であると自分は考えています。過去の2作はみんなで一つのことを目指す話だったのに対し、虹ヶ咲は各々が自分の好きなことを追求していたという点においては、スポ根ではなく文化系であると思います。これは他校のスクールアイドルの描き方にも表れています。これは他校のスクールアイドルの描き方にも表れており、過去2作に登場したA-RISEとsaint snowは主人公チームと同じ目標を競うライバルという感じでしたが、アニガサキにおける彼女達と似たポジションの東雲学院と藤黄学園は、虹ヶ咲の視点から見ると美術部などが他校と合同で展覧会を開いたりするようなノリの仲であるという印象がありました。
ラブライブ!大会の扱いについては、1.で述べたように虹ヶ咲では出ないこととしていますが、これは『スクールアイドルをやる上で大会や勝ち負けに拘らないやり方でも良い』と、過去作とは違うもう一つの解答を出しているものだと思います。みんなで一つのことを目指し、『友情・努力・勝利』の三原則に忠実な王道の無印と「サンシャイン!!」に対し、あえてその路線を外した邪道の虹ヶ咲という見方もできると思います。
ちなみに、ここでは過去作を貶めて虹ヶ咲を持ち上げるという意図は全くないので、悪しからず。自分は過去の無印と「サンシャイン!!」もとても好きです。
あとがき
今回は虹ヶ咲アニメ全体を総括する記事を書かせていただきました。とにかく、このような素敵な作品を送ってくださったスタッフ一同には『お疲れ様でした』と言いたいです。
アニメの終わり方自体は、まだまだ同好会のみんなの活躍は続いていきそうな雰囲気があるものの、クリアすべきことはクリアした分すっきりとしたエンディングだったと思います。その一方で、せつ菜の家庭の話やエマのスクールアイドルのルーツ、愛の祖母の話や彼方の母のことなどの掘り下げられていない部分もあるため、続編にも淡い期待があります。
特に彼方の母については、置き手紙で『娘達のライブに行きたい』という旨のことを書いていましたが、スクフェス当日はその人らしき姿が見当たらなかったため、2期があれば彼方の個人回のライブシーンを見に来て欲しいなと思います。
せつ菜の家庭の話については、せつ菜推しとして絶対にやってほしいと思っている部分です。本文でも書いた通り、今季の1クール分でもせつ菜は報われていると感じますが、趣味を禁じている親と本心で話し合えるようになってこそ、せつ菜には本当の幸せが訪れると考えています。それから、侑が音楽科に転科するとなると、各メンバーの曲を侑が作る話もやるのかなと思います。そうなると、侑と他のメンバーの絡みが増えそうなので楽しみです。
今回はとても長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。アニガサキの展開をこれからも楽しみにしています。
『ワクワク“叶えた”ストーリー』虹ヶ咲アニメ13話「みんなの夢を叶える場所」感想
テレビアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」、通称虹ヶ咲のアニメ版「アニガサキ」が最終回を迎えました。
個人的にはアニガサキのクライマックスは12話であり、今回スクールアイドルフェスティバルが開かれた最終回はいわばエピローグであると思いました。ですが、感想記事も完走したいと思います。何卒最後までお付き合いください。それでは内容の振り返りと感想に移ります。
目次
内容の振り返り
冒頭にて、侑は12話で言った通り音楽科に転科することを同好会のみんなに伝えます。何気にここでしずくが珍しく侑に絡んできたところもポイントです。
侑はみんなに、『スクールアイドルとして頑張っているみんなを見ていたら、本当にやってみたいことはとにかくやってみようと思った』と言いました。音楽科に転科するのも、スクールアイドルフェスティバル(以下スクフェス)もそこに含まれているのでしょう。同好会のみんなの過ごした日々が侑の背中を押してくれました。そして、スクフェスもいよいよ翌日に迫っていました。
オープニング明けにて、いよいよスクフェスがスタートしました。お台場名物であるユニコーンガンダムの立像もがっつり映っていました。ある意味、サンライズだからなせることです。ガンダムのビルドシリーズ以外でお台場のユニコーンガンダムが映ったのがよりによって虹ヶ咲であったというのも驚きです。
スクフェス当日、歩夢とせつ菜が一冊のピンク色のノートを回していました。
侑には秘密であるらしく、彼女が部室に来た途端に隠していました。
部室に全員が揃ったところで、『私たちの虹を咲かせに』とみんなで円陣を組んで気合を入れます。ソロがメインだから仕方なかったことでありますが、ここに来てシリーズの伝統である円陣を組んで気合を入れるというシーンが出来ました。
続いてフェスティバルのシーンに移ります。まずは歩夢のステージから。アニメ挿入歌の『Dream with you』がバックで流れ、元気いっぱいに歌う歩夢の姿が映し出されます。
ここで、第12話で歩夢の前身に一役買った今日子もステージを見に来ているところもポイントです。彼女が所属する焼き菓子同好会で、同好会メンバーを象ったクッキーを販売していました。
続いて愛のステージ。参加する人達は愛にタオルを振り回していて、本人も観衆も共に元気いっぱいのステージです。
出し物は、愛の実家のもんじゃ焼き屋が出張してきていました。もしアニメに続編があるなら、同好会のみんなと一緒に愛の実家へもんじゃ焼きを食べに行く話も見てみたいです。
その次は彼方のステージ。大きなベッドが数多く並べられ、みんなで寝ていました。
第7話ではアルバイトや学業、そしてスクールアイドル活動を数こなしていてオーバーワーク気味なためによく寝てしまうということがわかりましたが、ステージのコンセプトとしてわざわざベッドを数配置するあたり、寝ること自体は普通に好きであることがわかります。
晴天のもとでベッドを置いて集団で眠る光景自体は異様であり、妹の遥も困惑していました。
彼方の次は璃奈のステージ。
歌った後は観客とゲームで対戦していました。その時に使っていたゲームキャラが、ちょぼらうにょぽみ氏の4コマ漫画に登場する歩夢のペットの蛇・サスケ、「にじよん」でかすみが投げていたネズミ、同じく「にじよん」に登場した猫型ロボットの“アランちゃん”であるというファンサービスがありました。
そして何より、璃奈が大勢の人とゲームで触れ合っているというところにグッとくるものがありました。
璃奈の次は果林のステージ。
ちょうどステージ交代の時間となったため、エマが来ていました。
このときエマが記念撮影に乱入してくるところも面白かったです。
そのままエマのステージに移行します。エマはフェスティバルに来てくれた子どもたち(※エマの子ではありません)と仲良くなり、一緒のステージで踊っていました。
エマ役の指出さんも、虹ヶ咲の1stライブでキッズダンサーと共にパフォーマンスを披露していたので、そのネタの回収であると思われます。
ユニコーンガンダムの立像の前では、何やら怪しい動きがありました。
かすみがコッペパン同好会と協力して作った『どこでもかすみん』なる移動型ステージに乗って、せつ菜のステージに攻めてきました。そのまま攻撃を仕掛け、せつ菜はなす術もありません。このときのかすみの表情や動きが悪役のそれで腹黒い一面がよく現れています。
せつ菜のピンチに『solitude rain』のサビと共にしずくが駆けつけ、『しずくスカイブルーハリケーン』なる必殺技を放ち、せつ菜の窮地を救いました。
やがてせつ菜も反撃に転じ、必殺技の『せつ菜スカーレットストーム』を放ってかすみを見事に退けました。
このとき、演劇部の部長が舞台の演出を操作しており、このヒーローショーのようなステージは演劇部と合同で行った出し物であることが分かります。
思えば第12話でせつ菜が生徒会副会長達と打ち合わせをしているときに、演劇部もそこに参加していました。
とにかく前半はお祭り騒ぎといった感じの内容でした。
同好会メンバーの各々のステージが終わったところで、今度は彼方とエマが先程のノートを回していました。
一方、歩夢は藤黄学園の姫乃達と合流した後、侑とも合流しました。
歩夢は侑に他のみんなのステージも見ていかないのかと聞くと、侑は『今から新しいことをやるとしたら、このフェスティバルをやり遂げたらなのかな』と答え、そのための自信が欲しいと言っていました。11、12話を見る限りでは自信満々に見えなくもない様子でしたが、やはり新しいことを始める上での恐れや不安もあるみたいです。
そのとき、愛のステージで機材トラブルがあったことを聞いたため、侑はそちらに駆けつけて行きました。
機材トラブルの方は、璃奈が解決してくれました。
機材が復旧した後に愛が璃奈を抱きしめると、璃奈は『もしかして、初めて愛さんの役に立ってる?』と愛に聞きました。愛はそんなことを気にすることはなく、笑顔で璃奈のことを撫でていました。第6話で多くの人と繋がることができるようになった璃奈ですが、友人関係を構築する上ではまだまだ未熟なためか、誰かの役に立つかどうかを重視しているきらいが見えました。そんな璃奈に対して何の見返りも求めない愛の姿勢が、璃奈視点で見ると心にくるものがありました。
一方その頃、しずくとかすみは…
しずくが第8話の演劇祭のお礼にと、かすみに三日月型のヘアピンをプレゼントしていました。
アニメ化前のかすみの立ち絵ではトレードマークでもある三日月型のヘアピンですが、アニメではしずくからのプレゼントというところがロマンチックに思えます。
そしてこの2人も、例の如くノートを回していました。
大盛況のスクフェスも順風満帆とは行かず、天気が雨に変わり、多くのステージを中止にせざるを得なくなってしまいました。
当然他の客も帰り、侑は落ち込みました。
雨は上がっても、使えるステージは残っておらず、スクフェスはこのまま終わるのかと思ったとき、歩夢が『終わりじゃないよ、これで終わりになんてしない。まだ伝えたいことがあるから』と侑を励ましました。
そんな侑の元に電話が入りました。なんと、副会長が学校にあと1ステージだけ支えるようにとりなしてくれました。それを聞いたみんなは、学校のステージへと駆けていきます。
このときのシーンでユニコーンガンダム立像のサイコフレームが、「ガンダムUC(ユニコーン)」本編の最終決戦仕様の緑色になっているところも特徴です。
学校のステージに着いた同好会のみんなは、ステージ上で思い思いのことを語ります。
このときの彼方の台詞が印象的で、自分達は『1人だけど1人じゃない』というのがまさにこのアニメ全体を通して培われたものだと思います。
歩夢の台詞もまた、このアニメ全体を通しての頑張りを感じられました。
これからもつまづきそうになることはあると思うけど、“あなた”が私を支えてくれたように、あなたには私がいる。この想いは一つ。
この場合の“あなた”というのは、高咲侑のことはもちろん、それ以外のステージに集まってきてくれたみんなのことであり、そして、我々視聴者のことも含まれているのではないかと思います。
祭りの熱量は最高潮に達し、お待ちかねの最後のライブシーンに突入します。
今回歌われた曲は『夢がここからはじまるよ』。わかりやすく盛り上がるというよりも、さわやかな印象のナンバーです。アニメの挿入歌としてははじめての全員で歌う曲です。イントロは12話Cパートで侑が弾いていた作りかけの曲が元となっております。
ライブシーンの途中途中に、今までの話を振り返るカットがあるところも素晴らしいと思いました。
せつ菜推しとしてはたまらない一枚もあり、感無量でした。
中には、『そんなこともあったんですか?!』と思うようなカットまでありました。
エマとのツーショットは、11話までの歩夢が見たらどんな反応をするか未知数です。また、しずくと侑の絡みは本編ではほとんど見られなかったためここで補完してくれるのは嬉しいですが、続編があるならがっつり絡んでいる様子をもっと見せて欲しいと思います。
ユニットシングルのネタを拾ったカットもあり、ファンサービスも見事に取り入れていると思いました。
(Diver Diva)
(QU4RTZ)
(A・ZU・NA)
他の学校のメンバーのカットもありました。
侑や他のファンの姿もありました。スクフェスを支えてくれたファンのみんなも、『みんなで叶える物語』の立派な一員です。
さりげなく、流しそうめん同好会のみんなの姿もありました。
流しそうめん同好会も、スクフェスで出し物をやっていたのでしょうか。
髪を下ろした生徒会書記の双子と思われる人物も写っておりました。
新聞部の子はたいそうなカメラを持参してきており、プライベートも本気すぎるガチカメコであることがわかります。
演劇部部長の彼氏面ぶりも何気に印象的で、“あまとうスタイル”の継承者がまさかの「ラブライブ!」シリーズに登場となりました。
アクシデントはあったものの、こうしてスクフェスは無事に閉幕することができました。スクフェスでの頑張り、そして、今までの同好会での活動で培った絆を胸に、侑は転科試験に臨みます。
侑はこのとき、『何事も全部上手くいくなんてことはなくて、実際は公開しちゃうことばかりなんだと思う』と思っていました。それでも、同好会での交流を通して生まれた何かを本気で始めたいという気持ちは侑自身にも止められません。
一方、同好会の部室では、スクフェスの反響がたくさん来ていました。
次の機会での参加を望む声もあり、彼方も第二回がやりたいと言っていました。そのとき、歩夢が何か変わった様子を見せており、璃奈が歩夢にそのことを尋ねると、『始めてよかったな』と満足げに言っていました。
感想・総括
ついにアニガサキも最終回になってしまいました。ひとまずアニメのスタッフの皆さんには『お疲れ様でした』と言いたいです。今回の最終回は、スクフェスの話もやりつつ、今までの同好会の活躍を軽く振り返っていく、ちょっとした総集編や物語がひと段落した後の追加コンテンツのような印象を受けました。
ただ、この最終回で歩夢達が回していたノートについて少し気になりました。おそらく、あのノートには『夢がここからはじまるよ』の歌詞やらが記されていたのかなと自分は解釈しています。ノートについては、しずくとかすみで回しているときも果林が『東雲とのコラボステージの後にみんなで集まる』という風に言っていたり、同好会のみんなが学校のステージに向かう前に歩夢が侑に『伝えたいことがある』と言っていたため、この文脈ならつまりはそういうことだろうと思いました。
あとはライブシーンで止め絵が多いのが気になりましたが、その分ファンサービスを交えたカットで埋め合わせなどはできていたのかなと思います。
アニメ全体を通しての感想ですが、10話の感想でも触れたように、これは高咲侑が同好会のみんなとの交流を通してスクフェスにせよ音楽にせよ自分のやりたいことを見つけるまでの話でした。とても小さな一歩に感じますが、その小さな一歩を踏み出すのにも意外と勇気と時間が要るのかなと思います。もう1人の主人公とも言える歩夢が侑と共にスクールアイドルの楽しさに目覚めていくところもよかったなと思います。最終回の最後の台詞がまさに、そのことを体現しています。
準主人公であるせつ菜の視点で見るなら、一度は幕引きのつもりでやったライブが侑と歩夢の心を動かし、スクールアイドルフェスティバルを開くまでの新しい“大好き”の原動力になっていったんだなと感じました。せつ菜推しとしては、彼女の言葉を借りるなら『大好きがいっぱいの世界』が少しずつ出来上がっていく様子は見ていて楽しいものでした。『誰かの大好きが誰かを動かし、新しい大好きが生まれる』、『我慢せずに好きを発信していれば、何かが変わるかもしれない』といったエンタメ全般に対する賛歌のような文脈も感じ取れました。まさに、『届け、トキメキ』というキャッチコピーにふさわしい話だと思います。せつ菜推しとしては、大好きなせつ菜が報われた気がするので本当に嬉しかったです。
終わり方自体は『俺たちの戦いはまだまだ続くぜ』的なものではありましたが、ひとまず一つのことをクリアすることはできたなと思います。ただ、せつ菜の親の話、エマのスクールアイドルのルーツ、彼方の母親、愛の祖母などの掘り下げられていない要素も多く、侑が音楽科に行った後の話も作れそうな気がするので、続編があるならそれらも含めて楽しみにしたいです。
余談になりますが、今回がっつり登場したユニコーンガンダムは、覚醒形態も含めてバトルスピリッツでカード化されています。ラブライバーの皆さんもバトスピ始めてみませんか?(強引)
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
『お疲れ様、令和1号』劇場版仮面ライダーゼロワン-REAL×TIME感想
初めまして。初めてではない方はお久しぶりです。澄田兼鈞と申します。
新型コロナウィルスの影響で本来は夏に公開予定だったのを延期していた「仮面ライダーゼロワン」の劇場版、「REAL×TIME」が2020年12月18日に公開されました。
仮面ライダーゼロワンのテレビ本編の話については、最終回直後に上げた記事にも書いたように色々と思うことがありました。それでも、ゴーストみたいに追加コンテンツを最後まで追って面白いと思えたケースもあったにはあったため、とりあえず劇場版を見てみることにしました。
しかし、今回の劇場版自体は一応テレビ本編前提の話ではありますが一本の映画としては楽しめたと思います。話の方はテレビ本編の後日談です。
今回はその感想を書いていきます。ちなみにゼロワンの同時上映で現行作品の「セイバー」の短編もありましたが、今回はゼロワンに焦点を当てていきます。当然のことながらネタバレ注意です。書きたいことが散らかっていると思いますが、何卒最後までお付き合いください。
目次
あらすじ
「神が6日で世界を創造したのなら、私は60分でそれを破壊し、楽園を創造する。」突如姿を現した謎の男エス/仮面ライダーエデンは、賛同する数千人の信者と共に、世界中で大規模な同時多発テロを引き起こす。人々が次々と倒れ、世界中が大混乱に陥る中、飛電或人、不破諌、刃唯阿、天津垓、更に滅亡迅雷.netの迅、滅も、仮面ライダーとなり敵と戦いながら真相を究明しようと奮闘する。
果たして、圧倒的な強さを見せるエスの正体とは。エスが作り上げようとする楽園とは、いったい何を意味するのか?
大まかな感想
ストーリーの振り返りなど
映画の序盤からいきなりゼロツーとエデンの戦闘が始まっており、最初は状況を理解するのに時間がかかりました。しかし、この映画は「REAL× TIME(リアルタイム)」のタイトルの通り現在進行形で人類滅亡を食い止めるための60分を描いているため、そのことについては徐々に気にならなくなっていきました。また、エスの計画が時間を経過するごとに進んでいくところも随時画面に表示しており、尚更臨場感がありました。監督がテレビ本編でも映像を撮っていた杉原さんということもあり、本編や彼の前作である「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」でも見られた変態カメラワーク(褒め言葉)も健在で、戦闘シーンのクオリティの高さは相変わらずのゼロワンといった感じでそこも楽しめた部分でした。
今回はボスキャラのエデンの他にも、エデンの配下である量産型ライダーの仮面ライダーアバドンが登場します。劇中ではゼロワンがそのアバドン達を掻い潜り、エデンの待つスタジアムにいくなど、「仮面ライダー555/ファイズ」の「パラダイスロスト」を思わせるシーンもありました。
人物描写についての感想に入ります。主人公・飛電或人/仮面ライダーゼロワンは、本編ではヒューマギアの暴走などのことも問題を先送りにしがちで綺麗事を並べている夢見者という印象がいまいち拭えませんでしたが、劇場版では倒すべき敵がエスと彼が率いるシンクネットに絞られていたこともあり、人類とヒューマギアの夢を守るために戦うヒーローの姿をしっかり見せてくれたように思います。根本は本来そうであるはずなのですが、テレビ本編ではいまいち振り切れていなかった分、劇場版では明確に倒すべき相手が決まっていたためそちらの面がより強く出ていたと思います。また、ヒロインで秘書ヒューマギアのイズがエスのもとに『私も行く』と言ったときに制止したシーンも印象的でした。テレビ本編でイズを一度破壊され、最終回で彼女を復元して一から元に戻そうとするという結末には思うところがあったものの、『もう2度とイズを失いたくない』という悲痛な心境が読み取れました。テレビ本編終盤以前にもイズを失いかけていることを思えば尚更です。ですが、当のイズは決して守られるだけのヒロインには収まりませんでした。
映画終盤でイズはゼアの導きにより、なんとゼロツーに変身して戦いました。ゼロツーに変身したイズが、エデンの世界滅亡のキーの犠牲になるべく或人が変身したヘルライジングホッパーをゼロツーの姿で止める様子も驚きました。或人は一度イズを失った悲しみから仮面ライダーアークワンに変貌し、憎しみに身を任せて滅を倒そうとしていた経験があり、ヘルライジングホッパーになったことで再びそうなってしまいかけていたところをイズが止めてくれたのはよかったです。このときの或人役の高橋さんの演技も鬼気迫るものでした。最終決戦でエスの信者の1人・ベルが変身する仮面ライダールシファーが登場しますが、アバドン軍団とルシファーを前にゼロワンとゼロツーが肩を並べて戦う姿はとてもカッコいいものでした。
或人とイズ以外では、個人的には刃唯阿/仮面ライダーバルキリーの活躍がとても素晴らしいものだと感じました。迫り来るアバドン軍団を前に、A.I.M.S.の隊長として部下を率いて登場し、バルキリーに変身した後にバイクアクションを披露しつつアバドン達をバッタバッタ(アバドンがバッタモチーフということで、はい!アルトじゃぁ〜{以下略})と薙ぎ倒していく姿は、テレビ本編での不遇ぶりはどこ吹く風といった感じでした。ゼロワン最終回後の記事でも書きましたが、テレビ本編での唯阿は変身の機会も少ない上にキャラとしての方向性があやふやな印象が嫌でも拭えませんでした。しかし、ゼロワン映画の前作である「令和・ザ・ファーストジェネレーション」に引き続き、劇場版での活躍には恵まれていると思います。初期からいる女性ライダーとしてバルキリーの活躍にも期待していたこともあり、そこを今回の映画でおさえてくれていたのも嬉しかったです。
他のライダーの活躍も印象的で、唯阿と連携している仮面ライダーバルカン/不破諌は、今回はテレビ本編に比べると活躍は控えめでしたがテレビ本編と変わらぬかっこよさが出ていました。また、シンクネットから遣わされた戦闘機を力づくで止めようとするのも、相変わらずの不破らしさがありました。滅亡迅雷.netの滅と迅も、他のキャラに比べると台詞が少なかったものの、かつての強敵だったが味方になると頼もしい人物という雰囲気が出ていてよかったです。滅が仮面ライダー滅に変身するときに落下しながらの変身シークエンスが映るのも良かったです。天津垓/仮面ライダーサウザーについては、味方としては頼もしくも愛されキャラに収まっている様子には笑いましたが、この映画の展開のことで再び罪状が増えてしまったため不完全燃焼な部分もあります。その細かいことは後程書いていきたいと思います。
飛電の副社長・福添准はおやっさん枠に収まっていました。シンクネットにZAIAの技術を横流ししていたZAIA社員(アキラ100%)を尋問するときに弁護士ビンゴ(嘘発見機能付き)はともかく、腹筋崩壊太郎と白衣の天使ましろちゃん(看護師型ヒューマギア)を使うところは首を傾げましたが、それが良いかどうかはさておき中盤のゼロワンテイストを感じる部分ではありました。
仮面ライダーエデン、シンクネット関連
ここからは、劇場版限定ライダーの仮面ライダーエデンとその周辺設定で印象に残った部分を書いていきたいと思います。
仮面ライダーエデンに変身するエスは、本名を一色理人といい、医療用ナノマシンの開発を行なっていた人物でした。その医療用ナノマシンの被験者にはエスの婚約者である遠野朱音が選ばれており、ナノマシンの実用化と同時に彼女の病気を治す目的もありました。しかし、ナノマシンは人工知能搭載式で衛星アークの制御の元に動いていたため、デイブレイクでアークが暴走したときにナノマシンもその被害を受け、それで容体が変化した朱音は帰らぬ人となってしまいます。しかし、朱音の脳だけはまだ生きており、彼女の脳をコンピュータにつないで電脳世界の楽園に住まわせていました。一連の出来事に悲しんだエスは自らの身体をナノマシンの集合体に変え、朱音のための楽園を作ることとアークの根源となった人間の悪意を滅ぼすことを目的にアズから力をもらい、シンクネットを立ち上げ、劇場版の世界同時多発テロを起こします。
エスの大まかな紹介が終わったところでシンクネットの話に移ります。シンクネットは、エスが破滅願望のある人々をインターネット上で募ってできた宗教で、世界を滅ぼし、自分達がエスと共に楽園に導かれることを目的としています。インターネットで新興宗教の信者を募る部分は現代的だなと思いました。アバドンの正体が、ナノマシンで信者達が作った遠隔操作式のアバターだったというのも、インターネット社会の負の面に対する風刺を感じました。アバドンという名前が、“蝗害”を神格化した悪魔に由来するのも特徴です。
しかし、エスの真の目的は電脳世界に全人類を導き、悪意の集合である信者達には滅んでもらうというものであり、やがて真実を知った信者達からは離反されています。エスの目的については、『自分だけが朱音の元に行くのではダメだったのか』と思える部分もありますが、朱音を奪ったアークの根源である人間の悪意を滅ぼす目的もあったためにそういう手段を取ってしまったのでしょう。それに、『明日』をこの先も迎えられるかすらもわからない電脳世界に勝手に導かれる人間達からすれば大変迷惑なのは間違いないです。そういう意味では彼も“悪意”を持った敵であり、アークの使者たるアズが目をつけるのも必然であったと言えるでしょう。
ただし、エスには朱音が死して尚寄り添おうとしてくれていました。エスとの初戦闘の後に或人も電脳世界に導かれ、そこでであった朱音から『エスのことを止めてほしい』、『私はちゃんと元気だ』というエス=一色に対する気持ちを聞かされます。これは仮面ライダーエデンの変身シークエンスにも現れていると考えられます。エデンの変身シークエンスでは、人間の女性の身体を象ったライダモデル(ゼロワン世界でライダーの装甲パーツの元となる物体)が身体に絡みついて変身します。これは、エスがいつまでも恋人の死を引きずっている心境を表しているとも受け取れますし、死して尚朱音がエスに寄り添おうとしてくれていることを示しているとも個人的には受け取れます。エスの信者・ベルがエスからエデンキーとエデンドライバーを強奪して変身した仮面ライダールシファーの変身シークエンスでは、巨大な骸骨のライダモデルが変身者に食らいついて変身するというものであり、寄り添ってくれる人がいて、たとえ人間を捨てても添い遂げたいという希望を持っていたエスに対し、『寄り添ってくれる人も守るべきものもない空っぽの破滅願望』、『その破滅願望に身を任せ、生きながらにして死んだ者という面』を表しているようにも見えます。エデンとルシファーはフォルムがとても似ていますが、エデンのカラーリングは赤を使っていて血が通っているように見えるのに対し、ルシファーは白が基調で白骨遺体を思わせます。個人的にはベルの掘り下げも欲しいところでしたが、エスとは違って同情の余地もない悪として描かれていたのかなと思いました。そのことは唯阿が他のシンクネット信者に対しても『エスに比べれば同情の余地もない』と言い捨てており、他の信者共々ベルもやがて倒され、等しくお縄についていました。
最後、エスは電脳世界で朱音と共に念願の結婚式を挙げており、そのまま幸せそうに退場していきました。
その他の感想-テレビ本編の内容も添えて
「仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」は確かに一本の映画としては楽しめました。ただ、いまいち不完全燃焼に思えた部分もあります。一つは天津垓/仮面ライダーサウザーについてです。
彼はテレビ本編で衛星アークに人間の悪意をラーニングさせ、デイブレイク、ひいては滅亡迅雷.netのサイバーテロの原因を作りました。そして、今回明らかになったエスのナノマシンの不具合もアークの暴走によるものであり、『天津が余計なことをしなければエスは朱音さんと平和に暮らせていたかもしれないのに…』と嫌でも思ってしまいます。それと、仮面ライダーエデンのシステムの出所もアークであったと思えば、シンクネット事件の遠因も作ってしまっていたことになります。一応テレビ本編では子供向けのヒーローものである以上、彼が良いようにばかりしている展開が許されるはずはありませんでした。一度或人から飛電社長の座を奪った後はボコボコにされ続け、唯阿からはそれこそ読んで字のごとくの“鉄拳制裁”も食らい、最終的には飛電社長の座を或人に返した上にZAIAジャパンの社長の座も降ろされれるという仕打ちを受けた上で味方になってはいますが、ことの重大さとそれに伴う映画の展開も相まってしこりが残った視聴者も居るんじゃないかなと思います。
(読んで字のごとくの鉄拳制裁)
劇場版ではバルカンとバルキリーの変身能力を復旧させるという働きもしている一方で、無職の不破に自社への誘いをかけるのを断られるといった愛嬌を見せていたりします。それだけに、今更裁きを受けて欲しいとかではなくもはやメタ的な話になってしまいますが、きちんとケジメをつけられるならまだしも、味方になる前提のキャラに『全ての元凶』みたいな過剰な悪役要素や取り返しのつきづらい要素を背負わせるのはあまり良くないのではと言いたいです。もちろん天津に限った話ではありません。今までの作品ならエボルト(仮面ライダービルド)や我望(仮面ライダーフォーゼ)みたいなラスボスとして倒されているような人物がやっているようなことだと思います。天津のリスペクト先と思われる檀黎斗(仮面ライダーエグゼイド)も全ての元凶でありながら味方についていたこともあったものの利害の一致で手を組んでいただけで最終的にはVシネマ、小説版とで再び主人公達の前に立ち塞がり、そのまま倒されています。それだけに天津の扱いは色々と引っかかりました。ある意味彼も不幸なキャラクターだと思います。
アズとの決着もまだ先延ばしになりそうだと思いました。
もし、仮面ライダールシファーに変身したのがアズだったらアークとの戦いにも綺麗な決着がついたのかなと思います。しかし、彼女としては自ら行動を起こし戦うよりも、誰かを唆し、悪意に身を焦がしていく様を見るのを楽しんでいるという節はあるのかもしれません。ですが、悪意に身を任せ破滅願望の赴くままに動いているという点は彼女もエスやシンクネットのメンバー達に通ずるものがあり、ルシファー、ひいてはアークワンやアークスコーピオンのようなアークの仮面ライダーに変身できる資質は備わっていたと思います。おそらくこれから発売されるVシネマでそこは触れられるのでしょう。映画単体としてはゼロワン本編前提でも楽しめましたが、本編で回収されなかったことまで解決したわけではありませんでした。ヒューマギアを含む人工知能や、その他のテクノロジーとの共存にはまだまだ課題がありそうです。そこについては気長に見守っていこうと思います。
あとがき
劇場版仮面ライダーゼロワンは、テレビ本編が終わった8月から実に4ヶ月経ってからの上映であったため、テレビ本編の展開には思うところがあったものの、まずは『あ、久しぶり〜』という感想が真っ先に浮かびました。或人の『お前を止められるのはただ1人、俺だ!』という台詞やプログライズキーの電子音を劇場で聞くたびにそう思いました。
本文でも書いた通り、まだ続きがあるような気がします。しかし、自分の中のゼロワンは一旦これで区切りを迎えられました。だからひとまず、『お疲れ様、令和1号』と言いたいと思います。西川貴教さんとJさんが歌う主題歌も素晴らしかったです。
それでは、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
『踏み出す“夢への一歩”、変わらない気持ち』虹ヶ咲アニメ第12話「花開く想い」感想
虹ヶ咲アニメも12話、残すところ後1話となりました。今回も前回に引き続き、歩夢と侑にスポットが当たった話でした。
今回は2週間ぶりにメインライターの田中仁さんが担当した回でした。前置きはこのくらいにして、内容の振り返りと感想に移りたいと思います。
目次
内容の振り返り
昨晩、歩夢に『侑ちゃんだけのスクールアイドルでいたい、私だけの侑ちゃんでいて…』と告げられた侑。侑としては、歩夢に伝えたいことがあり、このままではまずいと歩夢に会った侑は昨日の話の続きをしようとしますが、もういいのと遮られてしまいます。
流石に歩夢も昨晩の行動はまずいと思ったのか、『フェスティバル頑張ろうね』と侑を励ます態度を見せました。しかし心の声は、『離れたくなんてない』と11話の出来事を引きずっている様子でした。
オープニング明けにて、侑はせつ菜と共にスクールアイドルフェスティバル(以下スクフェス)の打ち合わせに行っていました。第7話で東雲学院のステージを彼方へ貸してもらうときといい、スクフェスの打ち合わせで発案者の侑と共に出かけていることといい、せつ菜は虹ヶ咲と他校の外交で役に立っていることがわかります。東雲学院サイドにいる遥も、ここ最近の話の描き方によるものだと思いますが、“彼方の妹”よりも“東雲学院のスクールアイドル”という側面が強くなってきたように思います。
しかし侑の方は、準備はちゃんとしてきたものの、歩夢との出来事を引きずっているためか、打ち合わせの最中も上の空でした。そのことでせつ菜が侑の様子がおかしいと思い始めました。
一方その頃、同好会の部室では…
打ち合わせに出向いていないメンバーもスクフェスに向けて燃え上がっていました。(自称)部長のかすみを中心に謎の一致団結ムードが出来上がっていた中で、璃奈は出し物の相談があるとクラスメイトの浅希に連れて行かれ、続けて果林とエマも同じ理由で服飾同好会に連れていかれ、演劇部の方でも出し物を考えているらしく、しずくが部長に捕まり、彼方もバスケ部のメンバーに呼び出され、サッカー部の人には愛が呼ばれました。かすみと一緒に残るかと思われた歩夢も焼き菓子同好会の今日子に出し物の相談で連れて行かれました。人気者はご多忙です。同時に、スクールアイドル活動に協力的な脇役の面々にも好感が持てます。
一人部室に取り残されたかすみは、ゴルバットも文字通りの意味で顔負けするくらい口を開いて立ち尽くしていました。
しかし、かすみにもファンはきちんとおり、おそらく他のメンバーと同じく出し物の相談なのでしょうが、その人にそのまま連れて行かれました。
歩夢が今日子達と出し物の話し合いをしているシーンに移ります。今日子は歩夢のためにさまざまな出し物を考えていましたが、なかなか決まりません。しかし、『他のスクールアイドルのファンにも歩夢ちゃんの良さをアピールしたいんです!』と張り切っていました。
最初は侑のために始めたスクールアイドル活動も、こうして応援してくれる人ができたこと自体は素直に喜んでいました。特に今日子は第6話から歩夢のファンとして登場しており、12話では今まさに歩夢を応援したいという気持ちを形にしようとしています。その後のモノローグにて、『スクールアイドルとファンが一緒になってどんどん世界が広がってる』と言っているように、歩夢の“大好き”もまた知らず知らずのうちに際限なく広がっていってます。侑のスクフェス開催を応援する気持ちも嘘ではなく、素直に応援したいはずなのですが、どうしても彼女と離れていってしまうという不安を拭いきれません。
再び侑のシーンに移ります。スクフェスの打ち合わせの帰りにて、侑はせつ菜から歩夢の様子がおかしかったことを伝えられ、虹ヶ咲学園の正門近くで歩夢を見つけるとすぐさま彼女の方へ駆け出して行きました。
侑はピアノのことを内緒にしていたことを詫び、歩夢に最初に告げるつもりだったことを伝えた上で、このままモヤモヤした気持ちを抱えているのは良くないと再度歩夢に自分の夢の話をしようとしますが、『それって私と一緒じゃなくなるってことでしょ』と遮られてしまいます。さらに、『侑ちゃんがこんなこと言うのは初めて』と続けたため、幼い頃から積み重ねてきた侑との関係性の変化に危機感を覚えていることがわかります。
ここでもまたすれ違ってしまいました。
Bパートにて、スクフェスが1週間後に迫り、同好会のみんなは着実に準備を進めていました。
何やら、せつ菜が優木せつ菜の姿で副会長と共に打ち合わせに参加していましたが、副会長の希望でしょうか。
彼方は彼方らしく、準備の合間も寝ていました。
歩夢もまた、自分のところの出し物の話し合いをしていましたが、この時の今日子の表情からもうかがえる通り、歩夢自身の気が進んでおらず、準備が難航していることがわかります。
このときの今日子は歩夢に失望していたわけではなく、元気のない歩夢を気遣っていました。そこで今日子は、侑に相談を持ち掛けます。
気がつけばスクフェス開催も2日後に迫りました。
歩夢はその日の帰りに、せつ菜に一緒に帰らないかと誘われました。
せつ菜は歩夢に、こうしてスクフェスが開けるようになったのはファンのみんなのおかげであり、それに応えるためにも自分たちは先へ進まなければならないと説いていました。しかし歩夢は、『もう動けないよ』と弱気になっていました。
歩夢はせつ菜に、自分がスクールアイドルを始めてから変化したことについて話しました。
私がスクールアイドルを始めたのは、みんなのためじゃないんだ。見てほしいのはたった一人だけだったの。
だけど今は変わってきてて、こんな私を良いって言ってくれる人がたくさんいて、大切で、今は私の大好きな相手が侑ちゃんだけじゃなくなってきて、本当な私も離れていっている気がするの
歩夢自身もまた、最初に侑と一緒の夢を見ると誓ったことから遠いところまで来ていました。歩夢が侑以外にも大好きな人ができたというのは、侑とともにスクールアイドルの世界に入るきっかけとなったせつ菜のことであり、自分を応援してくれるファンであり、同じくスクールアイドルとして頑張る同好会の仲間のことでしょう。“大好き”が際限なく広がっているのは、侑も歩夢も一緒です。
それに対するせつ菜の励ましもとても印象的でした。
私も、我慢しようとしていました。大好きな気持ち。
でも、結局辞められないんですよね。
始まったのなら、貫くのみです!
侑のことを想う気持ちが大事で、その一方でファンとの交流を通して新しい“大好き”に気付きつつあり、侑だけのスクールアイドルではなくなりつつある歩夢のことを肯定し、『歩夢さんはそれで良いんです』と言っているようにも思えます。
一度は自分の大好きを他人に押し付け同好会を空中分解させてしまったことにより、これからは他人の大好きも大切にしたい、でも、一度諦めていようが親に趣味を禁止されていようが自分の“大好き”を伝えたい気持ちを譲らず自他の“大好き”に向き合い続け、ひいては侑と歩夢の夢の始まりのきっかけになったせつ菜だからこその台詞であり、本気系スクールアイドル・優木せつ菜のかっこよさがこれでもかと出ているワンシーンです。そんなせつ菜だからこそ、歩夢の侑を想う気持ちと無自覚のうちに広がる大好きも両方肯定して彼女を励ますことができたのだと思います。一度侑に救われたせつ菜が、今度はこうして歩夢を救おうとしているところが印象的です。
せつ菜の激励を聞いた歩夢は侑の夢と自分の気持ちに対し、『止めちゃいけない、我慢ししちゃいけない』と吹っ切れ、せつ菜とグータッチをしました。
そのまま歩夢は、侑の元へと駆け出していきます。このときにまた風景を使った演出が見られますが、Uターン禁止の標識と青信号が歩夢の『もう後戻りしない』という心情を表しています。
やがて侑の元にたどり着くと、侑が歩夢のファン達と共に歩夢専用のステージを作っていました。そこには歩夢ガチ推しである今日子の姿もありました。ステージの方は花をモチーフにした歩夢らしい造形です。
モチーフに使われた花にはそれぞれ歩夢に宛てた花言葉があり、今日子達が持ち出した黄色いガーベラは『愛』でファンから歩夢への気持ち。
今日子は歩夢のことを『可愛くて純粋でいつも頑張っていて、そんな歩夢ちゃんが私は大好きなんです』と評していました。
そして、侑が歩夢に渡した赤いローダンセは『変わらぬ想い』、歩夢が侑を想う気持ちが変わらないのと同じで、侑が歩夢を想う気持ちも変わらないということの表れです。
それを知った歩夢が侑に抱きつくと、ファンの子達も『ずるい!』といって侑に続いて抱きつきました。歩夢がこのときファンの子達を抱きとめたのは、彼女が周囲に目を向けられるようになったことの表れです。
帰り道にて、歩夢が『前に進むって、大切なものが増えていくってことなのかな』と話しており、侑は『そうかもね』と答えていました。
侑の方も、『歩夢を最初に可愛いと思ったのは私なんだよ』と、幼い頃から変わらない気持ちを伝えていました。
やがてマンションの前までたどり着き、ようやく侑は自分の夢について歩夢に伝えることができました。
私ね、音楽やってみたいんだ。2学期になったら、転科試験を受けようと思う。
同好会のスクールアイドル達の活動を見続けた上で決めた侑の夢です。思えば侑が普通科だったのも、やがて夢を見つけて音楽を始めることの前振りだったと考えられます。
そして歩夢も、『私はみんなために歌うよ』と新たな目標を侑に話しました。
やりたいこと、好きなことがバラバラなのは同好会のアイドル達だけでなく、侑もまたそうだったのです。
バラバラだけど想いは一つ、侑と歩夢はお互いに『今までありがとう』と告げた後、2週間ぶりのライブシーンがスタートします。
今回歩夢が歌ったのは『awakening promise』、今までの歩夢テイストを大事にしつつ、歩夢の葛藤が吹っ切れたような明るさ、力強さがあり、『say good-bye 涙』とはまた違った歩夢の前進を謳うナンバーです。
第1話の『Dream with you』と同じマンションの前で歌ったところも印象的で、一度夢の始まりを歌った場所で今度は新たなる夢の始まりを歌うという部分が良かったと思います。
『Dream with you』ではライブシーンの途中でかなりダークな雰囲気の演出があった一方で、今回の曲はダンスパート以外の演出も全体的に明るいのが特徴です。
(Dream with you)
(awakening promise)
歌い終わった後、お互いにこれからもよろしくねといい、そのまま2人は家に帰って行きました。
感想・総括
ある意味、今回の話が真の歩夢回というべき話でした。歩夢の問題も侑ならきっと丸く収まる方向に持ってきてくれるという信頼もありましたが、歩夢が再び笑えたのは良かったです。
侑が自分から離れていくという恐れもあると同時に自分も侑から離れていっているのではという恐れもあったからこそ、最終的に侑の夢に理解を示すことができたのだろうと思います。また、11話では嫉妬と焦りで『侑ちゃんだけのスクールアイドルでいたい』と言ってしまいましたが、12話では自分を見てくれるファンの存在を無視していたわけではないとわかったことについては好感が持てます。個人的な意見ですが、今日子と打ち合わせをしていたときの歩夢はひょっとしたら『あぁ、他にも私を見てくれる人はいるんだ』などという考えが頭をよぎりつつも『違う、私には侑ちゃんがいるのに…』などとそれを必死に封じ込めていたりしたかもしれません。しかし、せつ菜との会話における歩夢の『侑ちゃん以外にも好きな人が増えていった』という台詞に関しては、そういう描写が今の一度も全くなかったわけではないですが(2話のかすみとの会話、4・6話の愛と璃奈との交流、6話の今日子との出会い、9話でDiver FESに立候補したがる、11話で焼き菓子同好会に出向く、12話の今日子達との打ち合わせ)、この12話までに同好会メンバーやファンとの絡みがもっと多く有れば説得力もまた違ったのかなと思います。そこだけは引っかかりましたが、『みんなのために歌う』という目標もできたことから自発的に周囲に目を向けられるようになったことは確かであり、少なくとも『侑ちゃんだけのスクールアイドルでいたい』という考えは克服できたと思います。
(第11話で歩夢が焼き菓子同好会に出向いたシーン。璃奈の手紙の音読と共に流されていましたが、『歩夢の知らない侑の姿があったように、侑の知らない歩夢の姿もある』演出する上では重要なシーンでした。)
せつ菜へ嫉妬については、侑が歩夢の問い詰めに対して『違うよ』と即答していたことから11話時点ではすでに解消されており、歩夢からしてみればそれ以上に侑と自分が離れていくのが怖かったのかなと思います。11話終盤の2人の会話の終わり頃で完全に侑のターンで押し切れるかもしれないと思っていたところで歩夢が反抗してきたのも、つまりはそういうことでしょう。歩夢が侑を押し倒してしまうまでに至ったのも、侑が自分の夢を語りかけたことがトリガーとなったように見えました。
やはり元々アニメ化する予定がなかったために続編があるかも怪しく尺も限られている中で、全員を掘り下げつつ様々な要素を描写するのは至難の技なのかなとも思えます。今回は11話と併せて、いつもの話に比べるとあまり親切ではないシナリオだなと思いました。それでも、歩夢の『スクールアイドルとして歌うことは好きで侑のスクフェス開催を楽しみにしておりそれを応援したい』という気持ちに嘘はなかったことと、侑の歩夢を大事にする気持ちがブレていなかったことは良いと思いました。
歩夢の台詞の通り、前に進むということは大切なもの、好きなものが変わっていくというよりかは、それこそ侑のスクフェスの夢のようにそれらが際限なく増えていくことなのかなと思います。その一方で、元からあった好きなものが消えてなくなるわけじゃない、それは侑も歩夢も一緒です。そのことに気がつけたからこそ、歩夢は前進することができたのでしょう。
そして、侑が音楽科に転科することを決めていましたが、そうなると歩夢と過ごす時間は当然今よりももっと少なくなります。侑は歩夢のように後ろを向いていたわけでないですが、そのことを気にしていたがために一度面と向かって話しておきたかったのかもしれません。それでも、第1話で誓った通りの同じ道でなくても、違う道を進んでも想いはひとつと誓い合えた2人ならきっと大丈夫でしょう。それまでは歩夢が侑に対して依存気味だった関係が、例え離れ離れでもお互いを励まし合う気持ちは忘れないという信頼関係に昇華できたところも良かったです。もしアニメ2期があるとすれば、音楽科に転科した後の侑の話もありそうな気がするので期待しています。今季の1クールは侑と歩夢がスクールアイドルに出会い、やがて自分のやりたいことを見つけていくまでの話なら、2期はスクールアイドルメンバー達がスクールアイドル活動を通して今度は自分のやりたいことを見つけていく話にするのもありかもしれません。
余談ですが、せつ菜が今回の話で準主人公として申し分のない働きをしてくれたこともせつ菜推しとしては嬉しかったです。第3話では侑に救われるヒロインポジでしたが、第1話ではその侑をスクールアイドルの世界に引き込んでおり、今回の第12話では歩夢の前進を促すなどのヒーロー性も備えている、ヒロインもヒーローも両方できてしまう、準主人公というポジがとても様になるところもせつ菜の魅力の一つであると思います。またもせつ菜オタク前回の話でした。
final虹ヶ咲
12話のCパートにて、侑が作曲にも挑戦していることを歩夢に話していました。これが最終13話で披露される曲につながるのでしょうか。
最終回のタイトルは『みんなの夢を叶える場所』と書いて“スクールアイドルフェスティバル”と読む、次回の展開も読めないですが楽しみです。
それでは今回も、最後まで読んでいただきありがとうございました。
「“今”と“その先”を想う気持ち」虹ヶ咲アニメ11話『みんなの夢、私の夢』感想
虹ヶ咲アニメも11話、ストーリーも終盤に到達します。今回は主人公・高咲侑とその幼馴染・上原歩夢にスポットを当てた話でした。
そして、ストーリーが終盤に向けて加速する起爆剤が用意された怒涛の展開も見られました。
今回の話も、前回に引き続きサブライターの方がストーリーを買いていました。
TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第11話の脚本を担当させていただきました。いろいろ動く回です。どうぞよろしくお願いいたします!
— 平林佐和子 (@sui_sui_sei) 2020年12月12日
今回の記事は書きたいことが多過ぎたせいかいつもより長くなってしまいましたが、ご了承ください。それでは前置きはこのくらいにして、本題に移りたいと思います。
目次
内容の振り返り
①みんなの夢~広がる“大好き”の輪~
前回第10話でスクールアイドル好きみんなが楽しめるお祭りのような企画、スクールアイドルフェスティバル(以下スクフェス)を開催することを目標に定めた侑と同好会のみんな。まずはその申請のために発案者の侑と同好会(自称)部長のかすみが生徒会に話をつけに行きます。
そこで生徒会副会長がスクールアイドルを知らないということで、生徒会長の中川菜々が『学生が部活としてアイドル活動を行うもの』と親切丁寧に教えてくれました。その前にもかすみが説明しようとしてくれましたが、『元気で可愛いかすみんのことで〜す』といきなり自己紹介を始めてしまったため副会長には伝わりませんでした。
そこで菜々が副会長からスクールアイドルにやけに詳しいことを指摘されて焦っていました。普通に自身がスクールアイドル・優木せつ菜その人あることがバレるのを恐れていたのでしょう。
申請書の内容はというと、内容が漠然としていることやどこの学校と合同でやるかを決めていないこと、そもそも開催場所を定めていないことを指摘されました。
侑はというと、その指摘された部分を具体的にすれば申請を通してもらえると前向きです。一方、副会長も『楽しいライブになりそうですね』と侑達の背中を押してくれました。
申請を通してもらうために、同好会のみんなは会場探しを始めました。
みんなが巡った場所は今までの話で登場した場所で、同好会の活動を少しずつ振り返っているような感じもありました。
会場探しの途中でも、かすみは『ファンの皆さんと近い方がいいです』、エマは『自然の中で歌いたいな』、愛は『街の中で歌いたい』とこれまたバラバラな願望を話していました。
他校との打ち合わせにて。合同でスクフェスに参加する学校を募るべく、東雲学院と藤黄学園のスクールアイドル部に話をつけにいきました。どちらも参加には積極的で、すぐにOKしてくれました。
このとき、第9話で虹ヶ咲をDiver FESに誘った姫乃が果林と共にステージに立てることを喜んでおり、仲間の美咲に果林のファンであることをカミングアウトされました。それを知った果林がすかさずファンサービスをしてくれました。
会場が決まりきらない同好会は最終手段に出ます。かすみが『かすみんボックス』なるかすみ顔のダンボーのようなものを作って、そこにファンのみんなからスクフェスの会場を決めてもらおうとしていました。
しかし、誰もそこに何も入れていませんでした。
そこで愛が機転を利かせ、具体的にどんな要望を入れてほしいのかを書いた紙を箱に貼り付けます。しかしその結果、かすみんボックスというよりは、貼り紙がボードに見えるせいか『璃奈ちゃんボックス』という感じになってしまいました。
みんながかすみんボックスを置きに行った中で、璃奈がスクフェスのホームページを作っていました。そこで、第6話で仲良くなったクラスメイト達が焼き菓子同好会で作ったクッキーを差し入れに来てくれました。
クラスメイト達もスクフェスの話は聞いており、それをクラスの他のみんなにも話していいかと璃奈に言っていました。
璃奈もまた、第6話での成長やライブを通してクラスメイトに“大好き”の輪を広げていった1人です。それから、クラスメイト達が璃奈のことを6話の頃の『天王寺さん』呼びから『璃奈ちゃん』呼びに変わっているところもポイントです。ここでのやりとりが、おそらくこの後の展開につながっていると思います。
しばらくすると、かすみんボックスにはたくさんの意見や要望が入っていました。
どうやら口コミでスクフェスの話題が生徒中に広まっていたみたいです。おそらくここで寄せられた意見を参考にして、会場も決したと思われます。
そして、申請書の方もまとまったらしく、生徒会室に再度申請に行きました。
かすみんボックスには、スクフェスへの要望だけでなく、同好会メンバーへの応援メッセージも寄せられていました。
まずはバスケ部の人と思われる人物からのメッセージ。
彼方ちゃんの歌によって励まされていて、インターハイに出られました。フェスが開催することになったら、何かお手伝いがしたいです。
普段から様々な娯楽に励まされ、次の日も頑張る糧にしている我々にも重なるワンシーンです。
続いて、服飾同好会の人からのメッセージ。
エマさんのPVに毎日癒されています。たくさん着せたい衣装があるので、フェスが実現するのを楽しみにしています。
璃奈の友人がいる焼き菓子同好会からも、応援のメッセージが来ていました。
スクールアイドル同好会が大好きで、クッキーも作っちゃいました。フェスがあるなら、みんなにも食べてもらいたいです。
10話の感想でも触れましたが、虹ヶ咲のアニメは一般人のスクールアイドルに対する反応や応援が細かく描写されている部分も面白いです。ある意味、高咲侑という視聴者目線のキャラがメインメンバーとして登場しているからこそできることでもあると思います。さらに、スクールアイドル同好会が知らず知らずのうちに広げてきた“大好き”の輪が、スクフェスに向けての大きな力になっているということを、お便りを読むシーンでなおさら実感できました。
みんなからの応援メッセージを見て、侑は『本当にスクールアイドル好きのみんなが楽しめるにはライブをするだけじゃない』と気がつき、かすみも『応援してくれるみんなのやりたいことも叶った方が絶対楽しいじゃないですか』と侑に賛同しました。第2話で『かわいいもカッコいいも共存できる場所』を目指すと決めたかすみの夢もまた、際限なく広がっていることの表れです。そして、肝心の会場も、希望が出た場所全てにし、街全体を巻き込むものにすると決めました。その理由は…
色んなところで色んなアイドル達が自分らしいライブを披露する。そして、スクールアイドルが大好きな人達も自分の好きを自由に表現できる。みんなの夢が集まって、それを全部叶える場所、みんなが好きになってくれたスクールアイドル同好会らしいフェスの形ってそういうものだと思うんです。
それを聞いた副会長は、自分からはもう何も意見はないとし、会長の菜々の方は申請書に承認のハンコを押しました。
スクフェスの構想がより具体性を増したところで、副会長も参加してみたいと手を挙げました。
実は、副会長はスクフェスの話が持ち込まれたその日、スクールアイドルについて調べていたそうです。好きなスクールアイドルは優木せつ菜だそうです。
よりによって副会長がファンになってしまったせつ菜は、正体バレをさらに危惧します。ひとまずこれで、スクフェス自体は開催できることになりました。
②侑の夢と歩夢の本懐
ここからは侑と歩夢の話に移りたいと思います。
歩夢については、前回の第10話で侑がスクフェスの話をした時にみんなは一致団結ムードの中で1人だけ乗り切れていない様子を見せていました。その上せつ菜と侑が距離を縮めているかのような様子を目の当たりにして、侑が遠くへいってしまうのではないかと恐れているのだと思われます。
さらに、ここでは街の風景やオブジェクトを2人の心情を表現する演出に使っているところも印象的でした。
まず、東雲と藤黄との打ち合わせの前のバス停のシーンです。侑はバスに乗ってスクフェスの打ち合わせに向かうのに対し、歩夢はバス停に残って1人俯きます。侑が向かう場所のこともあって、2人の心の距離を表現しています。
璃奈がクラスメイトからもらった虹をかたどったクッキーが、ちょうど歩夢のイメージカラーでもあるピンクの部分が欠けていたのも、同好会のみんなが先へ進んでいる一方て歩夢だけ違う方向を向いていることを示唆していたようにも思います。
かすみんボックスが登場した日の放課後は、歩夢は部室で1人佇んでいました。
彼女の視線の先に映るのは、第1話で侑に『私の夢を一緒に見てほしい』と渡したパスケース。歩夢はただ、侑と一緒に夢を追いかけたいと思っていたのに侑の方は夢が際限なく広がっていく、つまり歩夢の時間は第1話で止まっていたとも受け取れます。
その日の帰り道では、意味ありげに分かれ道の標識が映されており、2人の道が分たれたことを表していました。
生徒会にスクフェスの申請が通った日の放課後は、歩夢がジュースの買い足しを口実に部室を離れようとするとせつ菜もついていくと言い出しました。歩夢としては侑についてきてほしかったのか、今一番2人きりになりたくない人物についてこられて少し嫌がっているのか、残念そうな表情を浮かべていました。
せつ菜との会話にて、合宿の夜、2人は何をしていたのか聞くと、侑が音楽室でピアノを弾いていたことを聞かされました。せつ菜は『新しい好きが生まれるって素敵ですよね』と嬉々として語っていましたが、それは歩夢も知らない侑の姿でした。歩夢と侑は、今までの話でも幼き日の思い出話をするなど、ずっと一緒にいたことが触れられてきました。そんな歩夢が知らない侑の姿を、よりによってせつ菜に見せていると知ったことは相当こたえたようです。別にせつ菜は悪いことをしているわけではないため彼女を責めることなどできず、それでも精神的にこたえる出来事に遭ったという状況は辛いと思います。
家に帰った後、侑から自分の部屋に呼ばれました。
侑はそこでピアノのことについて歩夢に明かしました。部屋にあったのはピアノというよりキーボードでしたが、少し前から手に入れて練習を始めたそうです。ちなみに、キーボードの上にはヘッドホンも置いてありました。マンション住まいなため、他の住人に対する配慮なのでしょうが、そのために歩夢が侑がピアノを弾いていることを知らずにいたのだと思います。
侑が自分の見えない努力をせつ菜には見せていたことについて、歩夢は『せつ菜ちゃんの方が大事なの?!』と詰めますが、侑は『違うよ』と即答します。
この場合の違うよとは、歩夢よりせつ菜が大事なのかという問いについて、歩夢が不満の不満の原因を彼女の言動から理解した上で『今はそういう話をしたいんじゃない』という意味なのだと思います。そして即答ができたのも、ブレブレな歩夢に対して侑は何かが定まっているからなのかなとも思いました。実際、侑はある大事なことを歩夢に伝えるために彼女を部屋に呼びました。
『歩夢に伝えたかったのは、その先のこと』と続け、そこから侑のターンに入り歩夢の誤解を解く………
………と思っていた時期が自分にもありました。
『私ね、夢が…』と言いかけたとき、『いや!』と遮られ、侑はソファーに押し倒されてしまいます。
『私の夢を一緒に見てくれるって言ったじゃない… 私、侑ちゃんだけのスクールアイドルでいたい。だから、私だけの侑ちゃんでいて…』と続けました。
この時に歩夢のスマホが侑のスマホに覆い被さっている演出も背筋が凍りました。
スマートフォンといえば、ある意味外の世界とお手軽につながれる代物であり、際限なく広がる侑の夢よりも、ただ一緒にスクールアイドルがしたいだけという心情は伝わってきます。
また、足を絡ませるシーンがあり、まさか「ラブライブ!」のアニメでそんな生々しいシーンを見るとは思いませんでした。
こうして歩夢の葛藤を抱えたまま、11話は幕を引きます。
感想・総括
「ラブライブ!」でこうも生々しい描写を見るとは思いませんでした。虹ヶ咲は初見だよという人の反応が気になります。
侑としては、ピアノのことを話していなかったのも、歩夢を蔑ろにしていたわけではなく、もっと上手くなった段階で話そうとしていたのではないかと最後の会話シーンから考えられます。
歩夢と侑の最後のシーンについては、男性視聴者からは恋愛感情や性愛、またはそれに近い物、いわゆる『百合』として捉える声が多かったのに対し、女性視聴者の中では『自分も似たような経験があった』、『女の子同士の複雑な友情をリアルに描写している』といった声が上がっていました。この描写については、性別ごとに意見が違う部分にも驚きました。だから、必ずしも恋愛感情やそれに近いものが絡んでいるとは言い切れないとも思います。これについては、「クズの本懐」というアニメが女性視聴者からの共感の声が多かったことを思い出しました。ちなみに「クズの本懐」の方は男女間、ときに女性同士の恋愛感情を通して人間の負の面を描写する作品であり、「ラブライブ!」シリーズである虹ヶ咲とは題材が全く違います。
それよりも今まではずっと当たり前だと思っていた侑との日常が、侑がスクフェスなどで際限なく夢を広げていくことで崩れていってしまうのではないかと恐れているのだと思います。また、2人の夢のすれ違いの例え話をするなら、侑はせつ菜が撒いた種から育った作物の味をもっと色々な人に広めたがっているのに対し、歩夢はその作物を侑と一緒の畑で共に育てて味わいたいのかなと思います。
今までの話でも、かすみが侑に抱きつくところに困惑したり、侑がエマと写真撮影がしたいといった時に真っ先に自分も一緒に撮ると言い出したりするなど、歩夢が侑に対していわゆる正妻ポジをキープしたがるかのような描写はありました。それでも無意識に侑と自分はずっと一緒にいられると思っており、これからもそれが続くと思っていた中でせつ菜と侑の合宿での様子を見た上にスクフェスの話も持ち上がり、歩夢は焦っているのだと思います。思えば歩夢自身も、同好会では侑以外の人物と仲良くしている、仲良くしようとしている描写があまり見られなかったこともあり、それゆえにどうしても侑に執着してしまう部分もあるのでしょう。ただ、歩夢の理由も行き場もない嫉妬心をここまで生々しく表現したことは評価します。
そして、ここで侑が歩夢に言おうとしていたことこそ、おそらくこの話の本旨であり歩夢の心を救う鍵になる思うので、次回の展開を待とうと思います。
歩夢と侑のシーンに持って行かれた感じはしますが、スクフェス準備サイドでのシーンの数々もとても大切であると自分は考えています。虹ヶ咲の生徒達がスクールアイドルフェスティバルに協力したいというメッセージを送ってきたことや、スクールアイドルを知らなかった副会長がせつ菜のファンになっていたことなどは、まさしく第10話で侑が言っていた『スクフェスを通して新しい大好きが生まれる』ということを体現して見せていると思います。また、色んなスクールアイドルがそれぞれの場所で自分らしいパフォーマンスを披露するという発案は、カッコいいも可愛いも共存するための同好会のソロ活動の方針の発展形でもあると受け取れます。その他にも、スクールアイドルが好きな人達が自分の好きを表現するという部分も、ファンとスクールアイドルの垣根を越えるという主張につながっていると思います。
ここからは余談になりますが、個人的にはさらに見てほしいシーンが一つあります。
せつ菜がスクフェスの申請書に承認のハンコを押す直前のシーンです。この時のせつ菜はとても嬉しそうな表情をしており、副会長にスクフェスを承認しても良いかと聞かれたときに間を置いているのが特徴です。
一度は自分の大好きを追求するあまり、仲間を傷つけ挫折してしまったせつ菜のスクールアイドル活動が、侑のトキメキを誘発し、同好会を再び始め、やがてスクールアイドルという大舞台につながっていったことで、せつ菜の頑張ります無駄ではなかった、それどころか、そこからさらに“大好き”の輪が広がっていくという実感を得られ、せつ菜推しの自分はとても心にくるワンシーンでした。せつ菜のスクールアイドル活動も、ある意味一つの形として報われたのだなと思いました。
それから、正体を誤魔化そうとするシーンも可愛かったです。
以上、せつ菜オタク全開の話でした。
next虹ヶ咲
次回のタイトルは『花ひらく想い』。文字の色が歩夢のイメージカラーであるため、次回で歩夢と侑の話に決着がつくのでしょうか。また、このタイトルからして、歩夢の持ち歌の一つである『開花宣言』を連想します。
この話に関しては、当然侑とせつ菜に非があるはずもなく、歩夢が1人で乗り越えなければならないという部分が苦しいところですが、次回も楽しみにしています。
それでは今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
『あなただからできること』虹ヶ咲アニメ第10話「夏、はじまる」感想
虹ヶ咲のアニメも第10話を迎え、いよいよ終盤に入りました。今回の第10話は、スクールアイドル同好会の合宿回であり、“アニメのあなたちゃん”こと主人公・高咲侑の実質的な個人回でもありました。そのためか、今回は虹ヶ咲アニメでは初のライブシーンがない回でした。
今回のお話は第5話ぶりにサブライターの伊藤睦美さんが脚本を担当しました。
それでは、前置きはこのくらいにして本題に移ります。
目次
内容の振り返り
期末テストを終え、夏休みムードに突入しかけている同好会メンバー達、かすみの点数はとても悲惨でしたが、スクールアイドル同好会としての活動も何かしらしなければならないため気持ちを切り替えていきます。
夏休みに入ったということで、第9話の頃から触れられていたある計画を実行に移します。すなわち、合宿です。
合宿はせつ菜の発案であり、そのせつ菜自身が合宿に行くにあたってどうやって厳しい親の目を誤魔化せたのか、せつ菜推しとしては気になりますが、次回以降で触れられるのでしょうか。
オープニング明けで同好会のみんなは合宿の場所に行きます。しかし、そこはいつもの虹ヶ咲学園の校舎でした。
しかし、校舎と敷地そのものの規模が大きいこともあり、寝泊まりできる場所も充実していました。どうやら研修施設であるみたいです。同好会一同はその施設の和室に泊まることにしました。
宿に着いた時間はだいぶ遅かったらしく、夕飯タイムに入ります。彼方が焼いているピザが、さすがライブデザイン科という感じでとても美味しそうです。
一方で、せつ菜も夕飯作りに参加していましたが、彼女は料理がとても下手らしく、キッチンでダークマターを生成していました。
ちなみにそのダークマターは彼方の手によって食べられる程度の味に仕上がり、食品ロスを防ぐことができました。
夕飯のシーンにて、『楽しくて合宿だってことを忘れちゃいそう』、『たまごパーティーがしたい』などとみんながお遊びムードに入りかけている中でせつ菜が『自分達の合宿は普段やらない練習やこれからのライブの予定を練るためにある』と再度合宿の目的を確認させたのに釣られて侑が9話のDiver FESでの出来事を振り返っていました。それを受けて、まずはかすみが『かすみんのめちゃかわパワーで、お客さんをメロメロにしちゃいます』、続いてしずくが『自信を持って自分を表現したいです』、彼方が『彼方ちゃんはベッドの上でリラックスしたいなぁ』、愛が『ライブでダジャレをぶちかましたい』、エマが『来てくれた人達と手をつないで踊ったりしたいな』、璃奈が『オンライン中継で離れた人ともつながりたい』、果林が『Diver FES以上に本気の私を見せるつもりよ』、せつ菜が『私は、私の大好きを叫びたいです』、歩夢が『ステージに立つだけで胸がいっぱいになっちゃいそう』と、皆次々にバラバラな願望を言っていました。侑はそんなみんなのことを『バラバラだ』と言いながらも、『個性がぶつかり合ってお互いを刺激し合えるような』楽しいライブができそうだと言いました。ソロの集まりでそれぞれの方向性が違う虹ヶ咲だからこそ、侑のような非アイドルの目線でみんなを客観的に見てくれるサポートメンバーが光るのかなとも思えます。
侑の発言を受けて、せつ菜も『バラバラな私たちだからこそできるソロステージの集合、そんな虹ヶ咲のライブがしたいです』とまだ見ぬ次のライブへの熱意を高めていました。それに続いて愛が『ゆうゆ(侑のあだ名)はどんなライブが見てみたい?』と聞くと、『私は、みんなのライブが見れるだけでときめいちゃう』と答えました。こうしてスクールアイドルメンバー達にただ純粋でまっすぐな好意や応援の気持ちを向けているところも、侑の好感が持てる部分だと思います。
夕飯の後の皿洗いは、侑と歩夢が一緒にやっていました。
皿洗いの最中に二人は小学校の林間学校のことを思い出す、などと思い出話に花を咲かせていました。歩夢が侑に『これからもずっと一緒にいたりして』と言うと侑が『よろしくね、歩夢おばあさん』と茶化すなど、高齢になっても仲良くしていくつもりらしいことが伺えました。
同好会が泊まる部屋ではかすみ、しずく、璃奈の1年生組が合宿の定番(?)であるおばけに扮装してみんなを驚かす遊びのために部屋を留守にしていました。一方で、侑の姿もありませんでした。
侑はどこに行っていたのかというと、夜の学校の音楽室のピアノでせつ菜の持ち歌の一つ『CHASE!』を弾いていました。
同好会のみんなが、それぞれ自分のやりたいことがはっきりしているがために、自分も何かしたいと思っていました。そのためかピアノもみんなの見えないところで練習していたらしく、第3話でぎこちなく単音を弾いていた頃に比べて上手になっていました。それもそうですが、『CHASE!』は侑が自分をスクールアイドルの世界に引き込んでくれた曲ということもあり、彼女の中では本当に特別な存在であることがわかります。
ピアノを弾いているところを、侑を探しに来たせつ菜に見つかり、そこから2人は話を始めます。ここでのせつ菜と侑の会話が大変印象的でした。
せつ菜は侑に、『私が今スクールアイドルを続けられているのは侑のおかげです。侑さんの言葉がなかったら、きっと私は大好きを叫べないまま自分を押し殺して生きていました。私の大好きを受け止めてくれてありがとう』と話していました。侑もせつ菜に、『せつ菜ちゃんやみんなの歌を聴くと、すっごく元気がもらえるんだ』と言いました。せつ菜もまた、『いつか侑さんの“大好き”が見つかったら、今度は私に応援させてください。侑さん自身の大好きを』と言いました。
せつ菜と侑の関係は、大好きを発信するアイドルとそれを受け止めるファンといった感じで、個人的に虹ヶ咲でとても好きな要素の一つです。そして今度は侑自身の大好きをせつ菜の方から応援したいという流れになるのもまた美しく思います。ファン目線のキャラである侑だからこそ、第3話で期待の呪縛に囚われていたせつ菜を救うことができたと思っているので尚更です。
部屋へ戻る途中、せつ菜が転びそうになったところを侑が抱き止めて支えます。
その様子をなんと、せつ菜と同じく侑を探しに来た歩夢に偶然見られました。
一見するとイチャイチャしているように見えてしまう2人の様子を見る歩夢の表情は不安げに曇っていました。
部屋にて、かすみ達が部屋にいるメンバーを驚かそうと帰ってくると、果林、彼方、エマに、逆に驚かし返されてしまいました。それをせつ菜に叱られた後、みんなは寝る時間に入りました。この時かすみがいたずらを仕掛けようとしたところ、眠ったままのせつ菜が枕を投げてきたため阻止されました。せつ菜は『ねごと(ポ○モンの技の一つ)』を覚えているか、雷の呼吸の素質が備わっていそうです。
歩夢はというと、皿洗いのときに『ずっと一緒にいるのかな』と侑と話し合っていた後でせつ菜と侑が仲睦まじそうにしている現場を見てしまったためか、寝ているときもどこか不安そうな顔つきをしていました。このときの歩夢はおそらく、侑の関心が幼馴染の自分から遠のいていってしまうのかもしれないと考えていたのかもしれません。
翌日から練習が本格的始まりました。最初はランニングをしていましたが、単調な練習に皆飽きてきたためか、かすみの機転で鬼ごっこに以降しました。鬼ごっこの内容はケイドロ(またはドロケイ)であったらしく、侑は鬼役の彼方に捕まって牢屋(に見立てた部室)に囚われてしまいました。
牢屋という名の部室にて、侑はパソコンでスクールアイドルの動画を見ていました。内容は、Diver FESにおける果林のライブと、東雲学院、藤黄学園のライブでした。
Diver FESが自らのチャンネルを持っていたことと、果林の動画が何気に10万回も再生されているのは驚きです。
それはさておき、侑は東雲学院と藤黄学園の動画のコメント欄もチェックしていました。今までのシリーズに比べ、ネット上と現実含めて一般人のスクールアイドルへの反応が細かく描かれているところも虹ヶ咲アニメの面白い部分だと思います。
それらの動画をみて、侑は何かを思いついた様子を見せました。
ランニングでみんな汗だくになったため、夜は学内のプールでリフレッシュしました。ここにきて水着回の需要も満たしてくれました。
みんながはしゃいでいる中で、侑と歩夢が2人で何か話していました。
侑は歩夢に、『スクールアイドルの夢を一緒に見てくれるって言ってくれたの、すごく嬉しかった。あのとき歩夢が勇気を出してくれたおかげなんだ。歩夢の夢を一緒に追いかけて、今の私がいる』と第1話の出来事を振り返りながら話していました。
こうして歩夢の侑に対する『自分への関心が薄れている』という誤解は解けた…とこのときは思っていました。
侑がその後に、『そして、みんなも』、『周りにどんどん広がっていって、スクールアイドルが好きな人達が集まって、いつのまにか大きな力になってた。ありがとう歩夢』と続けたため、歩夢は再び不安げな表情を浮かべました。
そうこうしているうちに、お台場の夜空に花火が上がり、みんなの関心がそちらに向いたところで侑がある提案を出しました。
『スクールアイドルもファンも、全部の垣根を超えちゃうような、ニジガクとか東雲とか藤黄とか関係なく、スクールアイドル好きみんなが楽しめるお祭りみたいなライブ。 知らなかったスクールアイドルに出会ったり、ファンの熱い声援に勇気をもらえたり、そこにいるみんなの心が強く響きあって、新しい“大好き”が生まれる。 そういう場所でみんなにも思いっきり歌ってほしい!』
『アイドルじゃない私だからできることもあるって思うから。 私もそこから何かを始めたい!』
『スクールアイドルとファンの垣根を越える』という部分を押し出すところも、ファン目線の主人公である侑らしい一面であると思います。みんなも侑の提案に乗ってくれました。
そして侑はこの催しを、スクールアイドルのお祭り、『スクールアイドルフェスティバル』とここで名付けました。おそらく、前回の『Diver FES』にインスパイアされたネーミングでもあるのかなと思います。3話でラブライブ大会には出なくても良いとしましたが、ここでまさしくラブライブに出なくてもスクールアイドルが輝ける場所を作れるという着地点に持って来れたのは見事です。
スクールアイドルフェスティバルに向けてメンバーは一致団結……と思いきや、歩夢だけは先程の出来事もあってか、いまいち乗り切れていない様子で第10話は幕を閉じました。
感想・総括
まさか、アニメの時空でもスクールアイドルフェスティバルを開く展開になるとは思いませんでした。おそらくこれが物語終盤のキーになるのでしょう。
今回の話では、高咲侑という人物が第1話以上に鮮明かつ詳細に見えてきました。今後の活躍にも期待したいです。
思えば虹ヶ咲のアニメの第1〜9話までは、第5話までに仲間集めが完了し、第6話からはファンタジック演出ではなく実際のステージでのライブシーンが増え、他校との繋がりも増えるという物語のスケールが少しずつ広がっていくという構成になっていました。彼方の妹・遥のスクールアイドル設定を残した上で他の東雲学院の面々や藤黄学園の面々と共に登場させたのも、単なるファンサービスではなく第10話で物語が転換点を迎えるにあたっての布石であったと思います。スクールアイドル同好会のみんなのパフォーマンスを見てきて、他校とのつながりも得た侑だからこそ、スクールアイドルフェスティバルの提案を出せたのかなと思います。第1〜10話はまさに、第1話で述べていた『夢に向かって頑張る誰かを応援できたら何かが始まる気がする』というところから、同好会のみんなとの交流を通して侑自身がやりたいことを見つけるまでの話でもあったと思います。
そして、スクールアイドルフェスティバルという名の一つの『みんなで叶える物語』の中心になってみんなを巻き込んでいく姿は、アイドルキャラでこそありませんが高咲侑も紛れもない「ラブライブ!」主人公と言えるでしょう。虹ヶ咲のラブライブ大会に出ないスクールアイドル活動も単なる自己満足ではなく、スクールアイドルフェスティバルを通して、せつ菜から侑と同好会メンバーへ大好きが繋がっていったように、他の誰かに“大好き”のバトンを繋いでいけるようになるという部分が素晴らしいと思います。その一方で、今までの主人公とは違い、アイドルキャラとの交流を深めて物語がある程度進んだところで自分のやりたいことを見つけるという部分も新鮮であり、ファン目線の主人公らしい部分でもあると思いました。また、ピアノが上達していたことも、今後の展開に関係してきそうなので楽しみです。
next虹ヶ咲
スクールアイドルフェスティバルに向けて一致団結ムードがある中で、1人だけ気が進まなさそうな様子の歩夢。第11話のサブタイトルの文字はピンクも混ざっており、彼女の葛藤はそこで解決されるのでしょうか。幼馴染の侑の夢が際限なく広がっていく中で、ただ侑と一緒のスクールアイドルの夢を追いかけたかった歩夢とは気持ちのすれ違いが生じていると思います。
そして、予告のせつ菜の表情が何やら気になりますが、彼女も何かあるのでしょうか。
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
『未来に残していけるのは?』鬼滅の刃最終巻・幾星霜を煌めく命感想
【注意】この記事には「鬼滅の刃」最終23巻の重大なネタバレが含まれます。
吾峠呼世晴先生による漫画、「鬼滅の刃」の最終23巻が2020年12月4日に発売されました。今回はその巻に収録された最終回のお話を軽くしたいと思います。冒頭にも書きましたがネタバレ注意です。
それでは本題に移ります。
目次
最終回の内容の概略
物語の時系列は鬼殺隊と鬼舞辻無惨の決戦から100年以上経った現代に話が移ります。そこでは人を食う鬼は存在せず、誰もが平和に過ごしています。主人公・竈門炭治郎達の子孫もいる他、本編で帰らぬ人となってしまった人物の転生した姿と思われる人々も登場します。
最終回について思ったこと
「鬼滅の刃」の最終回では、善逸の子孫・義照が善逸の残した戦いの記録(善逸伝)を読んでいたり、単行本の加筆版では炭治郎の子孫・炭彦が祖母から鬼退治の話を聞いていたりと、炭治郎達の活躍が昔話のように語れています。しかし、炭彦は兄・カナタに『鬼なんていない、おばあちゃんは嘘をついてある』と言い捨て、善逸伝に至っては義照の姉・燈子に『嘘小説』呼ばわりされる始末です。おそらく最終回の時系列では人食い鬼も鬼殺隊さえも昔の出来事として忘れ去られており、みんな何気なく暮らしているのだと思います。しかし、人を食べる鬼が存在せず、誰も理不尽に命を奪われない何気ない日常こそが大事であり、鬼殺隊のみんなが命を賭してまで守りたかったのはそんな日常だったのではないかと思います(この際殺人事件や戦争、貧困で理不尽に命を奪われているなどの現実的な問題とは区別して考えるものとする)。鬼殺隊のみんなは誰かの人生が理不尽に奪われることを良しとせず、多くの人がそうならないように戦ってきました。そういう意味では、産屋敷が言っていたように人の想いこそが永遠という理念を体現した最終回であったと思います。
鬼は救われない、救えないのか
「鬼滅」最終回は現代まで時代が飛び、本編で死亡した人の生まれ変わりと思われる人物が多数登場しましたが、鬼のメンバーは生まれ変わりがありませんでした(キメツ学園で救われてるからセーフと突っ込んではいけない)。ジャンプ本誌で自分が最終回を読んだ時は、『1000年以上人を殺し、また他人を鬼にして人を殺させてきた無惨はどうしようもないけど、鬼になったことを最終的に悔いて散って行った累や猗窩座、黒死牟、それから珠世、人間時代に生まれ育った環境や境遇が悲惨なために悪の道に走ってしまった妓夫太郎兄妹や響凱(鼓の人)は救ってやってもよかったのではないか』と考えていました。しかし、彼らを救うとなると、童磨や玉壺、半天狗のような人間時代から悪事を重ねてきたりどう考えても危ない性格だった人も同じ扱いになるのかなという気がしました(玉壺の過去はファンブックを参照)。これについては、どんな背景や理由があっても人を殺してはいけない、他人の人生を理不尽に奪ってはいけないという無言のメッセージでもあるのかなと思いました。
一方、珠世に付き添っていた鬼の青年・愈史郎はというと、画家として現代まで生きており、大好きな珠世様の生き様を絵で表現し続けています。珠世のことはこうして忘れて去られることはないというのは愈史郎から珠世への救済だと思いますし、珠世を失っても生き続けている愈史郎自身もとても強いと思います。
また、単行本の加筆版最終回では、炭治郎の子孫・炭彦も、『神様はきっと鬼も許してくれる』と言って鬼達の冥福も祈っている様子が見られました。
最後に
そんなこんなで「鬼滅の刃」は最終回を迎えました。吾峠先生にはひとまずお疲れ様と言いたいです。
最終回について、自分は100%納得しているかと言われるとそうでもなく、『痣の発生機序についてもっと掘り下げるべきだった』、『青い彼岸花は鬼の根源でキーになりそうだったのにそうでもなかった』といった未回収の伏線についてのことや、『正直子孫組や生まれ変わりメンバーの話よりも炭治郎達の祝言とかの方が見たかった(願望ダダ漏れ)』などと色々思うところがあった点もいくつかあります。ただ、話全体を通して言いたいことは何となくわかったと思いました。それがおそらく、この記事本文で自分が書いたことに当たるのかなと思います。ただし、自分としては鬼のみんなも何かしらの形で救ってほしかったなという本音もあります。
それでも、1000年以上無惨と戦い続け、やっと無惨を倒せた鬼殺隊のみんなや産屋敷家の人たち、炭治郎や禰豆子達のことは素直に讃えたいと思います。
それから、炭治郎達がしっかり子孫をのこして、その子孫も平和に暮らせているところは素直に嬉しかったです。一方で、亡くなったメンバーが転生していてもそれはよく似た別人でしかなく、失った命はやはり回帰しないという無常感に近い気持ちも感じました。特に悲鳴嶼の生まれ変わりはオリジンと違って目が見えてます(???『貴様は目が見えているだろう』)。そんな平和の時代で、鬼も鬼殺隊も全て過去の出来事になってしまっている、本当の意味で昔話になってしまっているという部分も、本編を最後まで読んできた読者としてはノスタルジックな雰囲気すら感じ取れます。
余談も余談ですが、産屋敷の息子である輝利哉について、『お母さんとお姉ちゃんまでお父さんと一緒に自爆してよかったの?』と少し可哀想な気はしましたが、裏を返せば鬼をちゃんと倒して現代まで移行して、子供が子供らしく過ごせる時代にもなれたのかなとも思いました。それから、義勇が現代に子孫を残していたのは何気に驚きました。口下手で言葉足らずな性格の彼と結婚してくれる女性がちゃんといてよかったですね。ちなみにサイコロステーキ先輩は転生してませんでした。
繰り返しになりますが、吾峠先生、お疲れ様でした。次回作も楽しみにしています。