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『未来に残していけるのは?』鬼滅の刃最終巻・幾星霜を煌めく命感想

【注意】この記事には「鬼滅の刃」最終23巻の重大なネタバレが含まれます。

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 吾峠呼世晴先生による漫画、「鬼滅の刃」の最終23巻が2020年12月4日に発売されました。今回はその巻に収録された最終回のお話を軽くしたいと思います。冒頭にも書きましたがネタバレ注意です。

 それでは本題に移ります。

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目次

 

最終回の内容の概略

 物語の時系列は鬼殺隊と鬼舞辻無惨の決戦から100年以上経った現代に話が移ります。そこでは人を食う鬼は存在せず、誰もが平和に過ごしています。主人公・竈門炭治郎達の子孫もいる他、本編で帰らぬ人となってしまった人物の転生した姿と思われる人々も登場します。

 

最終回について思ったこと

 「鬼滅の刃」の最終回では、善逸の子孫・義照が善逸の残した戦いの記録(善逸伝)を読んでいたり、単行本の加筆版では炭治郎の子孫・炭彦が祖母から鬼退治の話を聞いていたりと、炭治郎達の活躍が昔話のように語れています。しかし、炭彦は兄・カナタに『鬼なんていない、おばあちゃんは嘘をついてある』と言い捨て、善逸伝に至っては義照の姉・燈子に『嘘小説』呼ばわりされる始末です。おそらく最終回の時系列では人食い鬼も鬼殺隊さえも昔の出来事として忘れ去られており、みんな何気なく暮らしているのだと思います。しかし、人を食べる鬼が存在せず、誰も理不尽に命を奪われない何気ない日常こそが大事であり、鬼殺隊のみんなが命を賭してまで守りたかったのはそんな日常だったのではないかと思います(この際殺人事件や戦争、貧困で理不尽に命を奪われているなどの現実的な問題とは区別して考えるものとする)。鬼殺隊のみんなは誰かの人生が理不尽に奪われることを良しとせず、多くの人がそうならないように戦ってきました。そういう意味では、産屋敷が言っていたように人の想いこそが永遠という理念を体現した最終回であったと思います。

 

鬼は救われない、救えないのか

 「鬼滅」最終回は現代まで時代が飛び、本編で死亡した人の生まれ変わりと思われる人物が多数登場しましたが、鬼のメンバーは生まれ変わりがありませんでした(キメツ学園で救われてるからセーフと突っ込んではいけない)。ジャンプ本誌で自分が最終回を読んだ時は、『1000年以上人を殺し、また他人を鬼にして人を殺させてきた無惨はどうしようもないけど、鬼になったことを最終的に悔いて散って行った累や猗窩座、黒死牟、それから珠世、人間時代に生まれ育った環境や境遇が悲惨なために悪の道に走ってしまった妓夫太郎兄妹や響凱(鼓の人)は救ってやってもよかったのではないか』と考えていました。しかし、彼らを救うとなると、童磨や玉壺、半天狗のような人間時代から悪事を重ねてきたりどう考えても危ない性格だった人も同じ扱いになるのかなという気がしました(玉壺の過去はファンブックを参照)。これについては、どんな背景や理由があっても人を殺してはいけない、他人の人生を理不尽に奪ってはいけないという無言のメッセージでもあるのかなと思いました。

 一方、珠世に付き添っていた鬼の青年・愈史郎はというと、画家として現代まで生きており、大好きな珠世様の生き様を絵で表現し続けています。珠世のことはこうして忘れて去られることはないというのは愈史郎から珠世への救済だと思いますし、珠世を失っても生き続けている愈史郎自身もとても強いと思います。

 また、単行本の加筆版最終回では、炭治郎の子孫・炭彦も、『神様はきっと鬼も許してくれる』と言って鬼達の冥福も祈っている様子が見られました。

 

最後に

 そんなこんなで「鬼滅の刃」は最終回を迎えました。吾峠先生にはひとまずお疲れ様と言いたいです。

 最終回について、自分は100%納得しているかと言われるとそうでもなく、『痣の発生機序についてもっと掘り下げるべきだった』、『青い彼岸花は鬼の根源でキーになりそうだったのにそうでもなかった』といった未回収の伏線についてのことや、『正直子孫組や生まれ変わりメンバーの話よりも炭治郎達の祝言とかの方が見たかった(願望ダダ漏れなどと色々思うところがあった点もいくつかあります。ただ、話全体を通して言いたいことは何となくわかったと思いました。それがおそらく、この記事本文で自分が書いたことに当たるのかなと思います。ただし、自分としては鬼のみんなも何かしらの形で救ってほしかったなという本音もあります。

 それでも、1000年以上無惨と戦い続け、やっと無惨を倒せた鬼殺隊のみんなや産屋敷家の人たち、炭治郎や禰豆子達のことは素直に讃えたいと思います。

 それから、炭治郎達がしっかり子孫をのこして、その子孫も平和に暮らせているところは素直に嬉しかったです。一方で、亡くなったメンバーが転生していてもそれはよく似た別人でしかなく、失った命はやはり回帰しないという無常感に近い気持ちも感じました。特に悲鳴嶼の生まれ変わりはオリジンと違って目が見えてます(???『貴様は目が見えているだろう』)。そんな平和の時代で、鬼も鬼殺隊も全て過去の出来事になってしまっている本当の意味で昔話になってしまっているという部分も、本編を最後まで読んできた読者としてはノスタルジックな雰囲気すら感じ取れます。

 余談も余談ですが、産屋敷の息子である輝利哉について、『お母さんとお姉ちゃんまでお父さんと一緒に自爆してよかったの?』と少し可哀想な気はしましたが、裏を返せば鬼をちゃんと倒して現代まで移行して、子供が子供らしく過ごせる時代にもなれたのかなとも思いました。それから、義勇が現代に子孫を残していたのは何気に驚きました。口下手で言葉足らずな性格の彼と結婚してくれる女性がちゃんといてよかったですね。ちなみにサイコロステーキ先輩は転生してませんでした。

 

 繰り返しになりますが、吾峠先生、お疲れ様でした。次回作も楽しみにしています。