澄田さんは綴りたい®︎

好きなものを好きな時に書き綴るブログ

炎柱・煉獄杏寿郎、心を燃やし続けた男の話「鬼滅の刃-無限列車編-」

【注意】この記事には「鬼滅の刃-無限列車編-」やそれ以降の話の原作ストックおよび、特典の『煉獄零巻』のネタバレが含まれます。

 

 

 

 大ヒットアニメ、漫画の「鬼滅の刃」、その劇場版である「無限列車編」が2020年10月16日に公開となりました。「無限列車編」は、原作でいうとコミックス7,8巻のエピソードになります。

 今回は、その「無限列車編」の目玉キャラ、煉獄杏寿郎という人物の話をしたいと思います。

f:id:kanehitoSUMIDA:20201010122840j:image

 煉獄といえば、原作を読んでいる方は言わずもがな、アニメを見ている人もご存知だと思いますが、炎の呼吸の使い手で鬼殺隊の上級剣士・柱のメンバーの一人、炎柱です。主人公・竈門炭治郎の兄貴分ともいえる面倒見の良い人物で、後述する少ない出番ながらも高い人気を誇ります。アニメ版の主題歌を担当しているLiSAさんも杏寿郎がお気に入りのキャラだと言っていました。自分は霞柱の時透無一郎が推しなのですが(関係ない)、杏寿郎のこともとても好きです。今回はそんな煉獄杏寿郎の魅力について書いていきたいと思います。

 

目次

 

1.他人の努力や誠意を認め敬意を払う姿勢、人間を愛する心

 劇場版の特典『煉獄零巻』では、杏寿郎の初任務のことが描かれていました。その任務に出る前に、当時の炎柱であった父親から『お前も千寿郎(杏寿郎の弟)も大したものではない、炎柱は俺の代で終わりだ』と言い捨てられてしまいます。予め言っておくとこの頃煉獄父は(原作の話によると)とある任務で自分の力不足を痛感する出来事に遭い、その上最愛の妻(煉獄母)にも先立たれてしまうという不幸が重なり、自暴自棄になっていました。このとき杏寿郎は父の気持ちは父にしかわからないと思いつつも父がこのように言ってきた理由として『死なせたくないから』という風に考えていました。剣士としての実力がなくとも神崎アオイや“カクシ”の様な形で隊のために働く道もなくはないですが、実際実力のない者から早く倒れていくのが鬼殺隊なので、その様に思う気持ちもわからなくはありません。しかし杏寿郎自身は最終選別でであった同期の隊士に『あなたみたいな立派な人になりたい』とまで言われる実力者で本編の時系列では柱の一角となっており、当然実力がないなんてことはあり得ないでしょう。一方、弟の千寿郎は兄とは反対に日輪刀の色が変化しないほど剣術の才能に恵まれませんでした。初任務の日の昼間、杏寿郎はそんな千寿郎の修行の様子を見て、『才能に恵まれない人の努力や他人のためになりたいという気持ちに、本当に意味がないといえるのだろうか』と考えます。その初任務にて、多くの仲間たちが倒れている様子があり、その中にはかつて最終選別で出会った同期もいました。彼らが残してくれていた指文字で鬼の能力を見破り、見事討伐に成功しました。さらに、最終選別で出会った同期は、現場にいた女の子を庇っていたこともわかりました。杏寿郎はこの様子を見て、『誰かの命を守るために精一杯戦おうとする人は、ただただ愛おしい。清らかでひたむきな想いに才能の有無は関係ない』と考え、自分自身も『彼らのような立派な人になりたい』と考えます。これがある意味、3.で触れる母の教えと併せて杏寿郎を突き動かしていた原動力であるといえます。

 この考え方が杏寿郎の根底にあったからこそ、本編にて父が修行を放棄してもなお柱に登り詰め、『俺も柱になれば認めてもらえるでしょうか』と言っていた千寿郎に『剣士でなくともお前は立派な人間になる』という言葉をかけ、『強さとは肉体に対してのみ宿る言葉ではない』と自分に実力は及ばないであろう炭治郎達の“強さ”を認め、鬼でありながら体を張って人を守っていた炭治郎の妹・禰豆子のことも鬼殺隊の立派な一員として認めることができたのではないかと思います。その初任務で会った人達の誠意に応えねばという気持ちもあったからこそ、暴れる無限列車で乗客全員を助けるという離れ業にもつながったと思います。また初任務で芽生えた考え方や、本編での『老いるから、死ぬからこそ人間は尊い』という台詞から、ある意味で彼は人間というものを愛していたとも受け取れる気がします。だから、上弦の参・猗窩座の『お前も鬼にならないか』という誘いに乗らなかったのだと思います。

 

2.彼もまた『長男』である

 この段落では引き続き基本真面目な話をしますが半分ネタみたいな部分もあります。

 「鬼滅の刃」では、主人公・炭治郎の名言(迷言)として『俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢なかった』という台詞があります。しばしこの台詞は『長男だから耐えられた』と要約されることもあり、長男だったら肋骨の痛みすらも耐えられるそうです(嘘です)

f:id:kanehitoSUMIDA:20201010184012j:image

 話を杏寿郎に戻しますが、杏寿郎もある意味『長男だから耐えられた』を炭治郎とは別の意味で体現している人物といえます。だからこそ、炭治郎の兄貴分にふさわしい人物だといえます。ここからは無限列車で杏寿郎が見た夢のシーンにおける過去の回想の話になります。炎柱に昇格したことを報告しに実家に帰ると、1.で述べた出来事を引きずっていた煉獄父は床の間で酒を飲みら『俺もお前も大した人間にはなれない』と杏寿郎が柱になってもなお言い捨てます。その後千寿郎に会い、『父上は認めてくれましたか?俺も柱になれば認めてもらえるでしょうか』と質問されます。このとき杏寿郎は千寿郎にはっきりと『認めてくれなかった』と答え、その上で『そんなことで俺の情熱は消えたりしない』と確固たる信念を見せ、『お前には兄がいる。兄は弟を信じている』、『どんな道を歩んでも、お前は立派な人間になる』と千寿郎を励ましました。結果を出し、他人に認められることも大切ですが、杏寿郎はそれ以上に千寿郎の今までの努力を見てきており、1.で述べた出来事で芽生えた『人が一生懸命なにかをするのに才能の有無は関係ない』という考えもあって、自分のような剣士の道を行かずともそのときの頑張りが役に立つときが来ると信じていたのだと思います。また、このように声をかけていた背景には、父が修行を放棄しているために千寿郎がかわいそうだという気持ちもあったために、せめて父の次の年長者(兄)である自分は千寿郎を励ましてやらねばと考えていました。だからと言って1.で述べた出来事が彼の根幹にあるために、肩肘を張っているという印象はありませんでしたが、彼もまた長男だなという風に思えるワンシーンでした。

 余談になりますが、夢のシーンでは炭治郎達が自分の理想を見ていたのに対し、杏寿郎だけは現実にあった(と思われる)出来事を見ていました。このことから、彼のリアリストな一面も伺えます。一方で、弟の千寿郎のことはとても心配していたと同時に期待をかけていたこともわかります。

 

3.胸に生き続ける母の教え

 煉獄杏寿郎を語る上で欠かせない人物が一人います。それは、杏寿郎の母こと煉獄瑠火です。

f:id:kanehitoSUMIDA:20201010201821j:image

 瑠火は病気により、杏寿郎が幼いころに帰らぬ人となってしまいました。しかし、杏寿郎の心の中には彼女の教えが生き続けていました。瑠火は杏寿郎に、『自分が人より強く生まれた理由は弱き人を助けるためであり、その力は世のため人のために使わなければならない。天から賜りし力で人を傷つけること、私服を肥やすことは許されない』と説いていました。瑠火は鬼殺隊員ではありませんが、その強き心で息子達に人としての正しいあり方を説き、杏寿郎の精神性を築いていきました。まさしく彼女こそが、『強さとは肉体に対してのみ使う言葉ではない』という杏寿郎の台詞を体現していた人物であるといえます。瑠火が亡くなった後、父・眞寿郎は鬼殺隊を辞め、酒浸りな生活に入り杏寿郎達の修行を放棄してしまいます。杏寿郎は自分のことよりも千寿郎のことを案じていましたが、今まで熱心に稽古をつけてくれていた父が稽古を放棄し酒に溺れている姿を見て、その父に自分の今までの頑張りを否定されて、何も思わなかったはずはないでしょう。下弦の壱・魘夢には柱になったことを父に報告しに来た時の夢を見せられましたが、その時の父の態度を目に無表情に沈んだ顔をしており、そんな内に秘めた心の傷を表すかのように夢の中の無意識領域の地面も所々ひび割れておりました。しかし、1.の初任務のときに芽生えた考えや、母の教えが心に生きていたからこそ、父に裏切られたとしても折れることなく柱まで登り詰めたのだと思います。無限列車が壊れた後の上弦の参・猗窩座との戦いでは、猗窩座にその強さを賞賛され、『お前も鬼にならないか』と誘われましたが、『ならない』と一蹴しています。「鬼滅」世界の鬼は、(禰豆子、珠世、愈史朗はともかく)圧倒的な力を誇りながらも人を殺して喰らい、他人の人生を理不尽に奪っていく、まさに瑠火が杏寿郎に説いていた教えとは真逆の存在です。杏寿郎自身も1.でも挙げた『老いるからこそ、死ぬからこそ人間は尊い』という台詞からわかるように鬼が持つ永遠の命には興味がないのでしょうが、母の教えを胸に、長男として弟を守るために、柱として部下を守るために強くなった杏寿郎だからこそ、猗窩座の誘いには乗らなかったのだとも考えられます。

 

4.炭治郎達に遺したもの

 無限列車が崩壊した後、上弦の参・猗窩座が襲来し、杏寿郎は彼と戦います。幹部クラスである上弦の鬼を相手に互角に戦った杏寿郎ですが、瀕死の重症を負わされ、応急処置も間に合わずそのまま帰らぬ人となってしまいました。共に任務に当たっていた炭治郎、善逸、伊之助にも大きな傷が残る出来事となりました。しかし、同時に彼らが杏寿郎から大切なものを受け継いだ出来事でもありました。

 例えば杏寿郎が死に際に残した『心を燃やせ』という言葉は、炭治郎がストーリー後半の上弦との戦いや柱稽古のときも意識し、やがて物語終盤への戦いに臨む原動力となりました。同じく終盤の無限城戦にて炭治郎は杏寿郎の仇敵である猗窩座と対峙したとき、彼に『強き者が弱き者を淘汰することが自然の摂理だ』と言われたのに対し、『強き者は弱き者を守る、そして弱き者は強くなり自分より弱き者を守る。これが自然の摂理だ』と言い返します。

f:id:kanehitoSUMIDA:20201017162906j:image

 この台詞は、煉獄母の『強く生まれた者は弱き者を守るためにその力を使わねばならない』という教えに重なるものであり、それを発展・先鋭化させたものであるとも受け取れます。炭治郎自身は煉獄母に直接会ったことはありませんが、杏寿郎の戦う姿を見てその教えに基づく思想を受け取ったといえるでしょう。魘夢役の平川大輔さんも煉獄零巻でのインタビューにて、『杏寿郎は言葉で聞けば教えてくれるかもしれないけど、彼が伝えたいことは彼の背中を見ていればしっかりと伝わる』、『背中で語る男だ』とおっしゃっていました。自分もまさしくその通りだと思いますし、炭治郎と杏寿郎の関係もまさにそういうものであると思います。

 炭治郎の他に、伊之助も杏寿郎と猗窩座の戦いをその目で見ていました。杏寿郎の死を前に『自分も煉獄さんみたいになれるのか』と落ち込む炭治郎に対し、『信じると言われたならそれに応える以外考えるんじゃねぇ!』『どんなに惨めで恥ずかしくても生きていかなきゃならねぇんだぞ!』と励まします。こちらの台詞は『誰かの命を守るために精一杯戦おうとする人は、ただただ愛おしい。清らかでひたむきな想いに才能の有無は関係ない』という杏寿郎の思想に対応しているものだと思います。伊之助もまた、杏寿郎の背中を通して彼のメッセージを受け取った1人といえるでしょう。

 大切な人を失い鬼殺隊に入った炭治郎達は、今回の無限列車の戦いのように鬼殺隊に入ってからもそこで得た大切なものを失うような出来事に遭遇しました。そこで色々な人たちの生き様を胸に刻み、やがて彼らは上弦の鬼との戦いに身を投じていきます。

 

あとがき-無限列車編感想その他

 今回は、「無限列車編」の目玉キャラ・煉獄杏寿郎について書かせていただきました。「無限列車編」自体は公開初日の翌日に見に行きました。テレビシリーズと同じく、アニメの動きで作品の魅力を底上げし、原作の穴を埋める補完描写も充実していて面白かったです。目玉キャラの杏寿郎も、原作以上のかっこよさが際立っており、担当声優の日野さんの鬼気迫る演技も印象的でした。今回の映画の裏ボスである猗窩座の担当声優が石田彰さんだったことは驚きましたが、実際にお芝居を聞いてみるとぴったりであったと思います。個人的に猗窩座戦の方がこの話の本番であると思い込んでいましたが、前半の魘夢戦も思った以上に激しいアクションシーンや平川さんのねっとりとした演技もあって面白かったです。

 冒頭でも触れた通り、「無限列車編」は原作7、8巻の内容を映像化したものであり、おそらくこれをテレビシリーズでやっても構わないような気はしていましたが、実際に作品を見て、やはり映画だからこそ映えるエピソードなのかなと思いました。魘夢に失った家族の夢を見せられていた炭治郎が最終的に彼の夢を打ち破り現実に戻る決意をした下りは、猗窩座戦の後の杏寿郎の『君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない、共に寄り添って悲しんではくれない』という台詞に重なります。つまり、無限列車の戦いは全体を通して一本の筋・テーマが通った話であり、映画にするにはうってつけの話であったと思います。杏寿郎自身も、「鬼滅の刃」が作品全体を通して大事にしているテーマの一つである『人間愛』を体現している人物であるため、劇場版の花形として申し分ないキャラでもあります。

 LiSAさんが歌う劇場版の主題歌『炎』も、杏寿郎の生き様、炭治郎達が彼から受け継いだ思いがしっかり歌われている名曲だと思います。LiSAさんのお気に入りのキャラが杏寿郎であるというのもあるのでしょうが、彼に寄り添う歌詞が書けていると思います。なので、自分もCDを買いました。

 テレビアニメの二期もこの調子なら作られると思いますが、そちらも楽しみにしております。

 

 それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。